Nakanoまる『QU』【定義しづらい怪しさを持つ、不思議な表現者】
1年ちょっと前にこの人の名前を知ったのは北沢東京氏がレビューしてくれた時のこと。そのMVのポップでカラフルな様子から、新たなタイプのアイドルの人かと思っていた。まあアイドルとそうじゃない人の境界線をどこに引くべきなのかとか、そもそも引くべきなのかとか、考えはじめたら答えなんて出るわけもないんだけれど、とにかくその画面からはアイドルという言葉が自然に出てくるような何かが感じられたのだった。
その後musiplのTwitterがランダムに過去レビューをツイートするたびに、風変わりな名前のNakanoまるの過去レビューはイイねやリツイートを集めていた。爆発的な数ではないけれど、着実に集まるイイねやリツイート。これはなんだろう、とそのたび毎に思っていた。そして今回のこのMV。そこにアイドル的な雰囲気は欠片もなくて。ますます興味を深めることになる。
人前で表現をする人というのはどんな存在であっても見てもらいたいという欲求は多かれ少なかれ持っていて、その形がアイドル的なものかどうかということは実はあまり重要ではないのかもしれない。アイドルだからトイレにも行かないし食べるのはフルーツだけみたいな昭和な幻想などもはや存在しないし、パンクロックな人だってメロンやプリンは食べるのだ、当たり前だけれど。アイドルで一斉を風靡したはずの人があっという間にイメチェンしてゲスい役にも体当たりとか普通だし、だから、「この人はアイドルか?」なんてことを考えること自体、令和の時代にはもうやめた方がいいのかもしれない。
Nakanoまるという風変わりな芸名(?)の彼女が、このMVで見せているのはアーチスト然とした何かであって、1年前のMVとは全然違うなと思うものの、このMVのちょっと前に公開しているスタジオリハ風景の動画では、不思議な怪しげな数字フキダシ(?)を画面全体にフワフワさせていて、この硬派アーチスト的なMVとはまた違った雰囲気で、だから結局このアーチスト的なMVが彼女の本領発揮だと思い込むことも多分間違いなのだろう。彼女の中にある怪しさ。それこそが彼女の本領であって、それは単純にひとつの形で「これですよ」と示すことは難しいだろうと感じる。その定義しづらい怪しさだから、シンプルに熱狂するということもまた難しいのだが、だからこそのマニアックな人たちがファンになりうる資質を持っている、希有な表現者でもあるのだろう。今後の成長、というか表出が楽しみなアーチストだ。
(2019.9.16) (レビュアー:大島栄二)