矢沢永吉『いつか、その日が来る日まで…』
【怖い、怖い、怖い、でもこれからおまえの物語が始まるんだよ】
矢沢永吉、70歳。70の声を聴いて、7年ぶりのニューアルバム制作を決意した。そのドキュメンタリーを見た。その中で、地元広島から夜行列車に飛び乗った時のことを語っていた。「広島のプラットホームがパーッと離れていくとき、え、ちょっと待てよ、おまえ本気でやろうとしているわけ?おまえウソだろう、おまえやめときなよ。おまえ酔ってんじゃないの?と言いながら、もうひとつの気持ちはね、うわあ、離れていく離れていく離れていく。いいんだ、いいんだ、怖い、怖い、怖い、でもおまえこれからおまえの物語が始まるんだよ、映画が始まるんだよって。そのくらいに何かね、映画の、漫画の中に出てくるようなところに置き換えないとね、あの夜汽車で最終電車でこう、乗っていけないですよ」と52年前のことを振り返っていた。カッコよかった。
気がついた時にはもう矢沢永吉は大スターで、彼の前にも後にも幅広い舗装道路が用意されててそこを安全に突き進んでいるかのようにさえ感じられた。しかしやっぱり彼にも恐怖を伴う突破はあったのだ。その後彼を襲った詐欺被害のことはよく語られる。知人に騙されて35億の借金を背負う。それを歌うことで返しきる。確かにすごい。常人にできることではない。だが、その状況は彼が恐怖に襲われながら選んだものではない。偶然に陥ってしまったもので、選ばないという選択肢が用意されていたわけではない。それに比べると広島からロックスターを夢見て上京した夜行列車での話は何倍にもすごいと感じる。なぜならば、途中で引き返すことだってできるからだ。ビートルズに憧れ、熱に浮かされて何も考えずに何も怖れずに突き進んできたサクセスストーリーならば簡単だ。しかし矢沢永吉は怖れたと言う。何事にも強きで前向きでポジティブなイメージからすれば、状況の時に一切の迷いも怖れもなかったという方がスッとくる。だが、怖れたと言う。その怖れを彼がどうやって克服したのか。自分が成功するイメージを必死で想い描く。一種の自己暗示だ。言葉にすれば簡単のようだが、実際には困難なことだ。多くの人は引き返すだろう。そもそも夜汽車に乗らないだろう。だが彼は乗って、恐怖の中自分を鼓舞する。その若き日のエピソードは、35億の借金を返済したロックスターの話よりもグッとくるし、凡人の我々にとっても参考にできる示唆が含まれている。
70歳の誕生日を前にリリースされたニューアルバム。『いつか、その日が来る日まで…』って、その日って一体なんの日よ。具体的な「何」は誰にも言えないけれども、その漠とした「その日」は必ずやって来る。そのことを感じた矢沢永吉は歌以外のすべてを手放してでも、ロックスターとして万全の体制でステージに立って歌えることに備えると決意する。すごいな。普通のおじさんはもう仕事をリタイヤして、趣味のカメラ三昧の日々を過ごしてたりする年齢だ。しかし彼は若い頃に描いた夢を生涯貫くために、趣味をすべて手放す覚悟だという。本当にすごい。その生き様の1/100でもいいから見習いたい。
(※2021.7.22.時点で動画が削除されていることを確認しました。レビュー文面のみ残しておきます。)
(2019.9.14) (レビュアー:大島栄二)