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西城秀樹『ブルースカイブルー』【青空よ心を伝えてよ、悲しみは余りにも大きい】

ザ名曲。西城秀樹の歌をザ名曲と言ってる時点で僕の年齢もバレるというものだが、この動画のコメント欄には「最近知った曲。すごく惚れました!」という言葉があったので、年代に関係なく良い曲は良い曲なのだろう。これがリアルタイムの頃はまだまだ子供で、歌詞の内容などよくわかってなくて、それでも名曲だなあと好きになったのは、歌詞の内容など解るはずもない洋楽を聴いてイイなあと思うことと同じ理由なのだと思う。

阿久悠は当時の歌謡界でも突出した存在で、歌い手にあわせて変幻自在の作品を提供した。とすれば、西城秀樹に書いたこの歌も西城秀樹にあわせたものということになるのだろう。ではこの歌詞にフィットしたはずの西城秀樹とはどんな歌手だったのだろうか。まあ端的にいうと、情熱の人。その情熱の人が歌う別れの歌。別れの悲しみなのに、タイトルからもイメージされる爽やかさが全体に溢れている。そう、情熱的な爽やかさが西城秀樹の真骨頂なのだ。悲しみは余りにも大きいと歌うのに、その熱唱ぶりが妙に爽やか。爽やかな悲しみなんて、西城秀樹以外に歌いこなせる人はいないだろう。

先日、旧友の奥様が亡くなったという訃報が届き、それを告げる旧友の言葉が淡々としてて。悲しみの渦中のはずなのに、淡々としてて、ある意味爽やか。でもなんとなくわかるのだ。精一杯のことをしたという時の、悔いの無さ。多分彼は精一杯やれることをやったんだろう。そういう人と、訃報に接して驚いている人との気持ちのズレみたいなものは確実にあると思う。何かを受賞した人がいれば褒めたりお祝いを言ったりするけれど、本人はそういう言葉について、ありがたいけれども首筋が痒くなるような気恥ずかしさに包まれるみたいなのと似て。彼の報告投稿にお悔やみの言葉が並んでて、でもなんか違う印象。SNSに並ぶ誕生日おめでとうとか、有名人の訃報を悼む投稿とか。悼んでる自分を自分で確認しているだけで、心はいったいどこにあるのかみたいな違和感。そういうところに自分の言葉を並べたくないというその気持ちも、結局は自分確認の意固地さでしかないんだろうけれども。

そんなことを考えながら、爽やかな悲しみ西城秀樹を思い出した。夜ヒットの秀樹は若いなあ。もう彼がこの世にいないとか、やっぱり信じられない。年月が過ぎ去ったんだなあと思い知らされる。それにしても、この曲で一番盛上がるというかサビというか、「青空よ心を伝えてよ、悲しみは余りにも大きい、青空よ遠い人に伝えて、さよならと」という部分のコーラスが大きすぎてよく聴こえないじゃないか夜ヒットよ。生放送で生バンドが演奏して副調整室で音量調整をしているという状況だから、まあそんなにベストバランスにはならないか。それも、時代だよなあ。古いものをことさらに懐かしんではいけないと思うけれども、こんな時くらいは古いものを懐かしんで浸ったとしてもいいのではないか。僕だって、あいつだって。

(2019.7.27) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl