川本真琴と峯田和伸『新しい友達 II』【友達ってなんだろう。新しい友達ってなんだろう】
川本真琴の新作が来月リリース予定。9年ぶりのアルバムということでMVが公開。MV曲は新しい友達Ⅱで、峯田和伸とのデュエット曲。MV冒頭からおっさんが走ってて、「おっ、峯田髪切った? それにしても太った? 大きな目が細くなるくらいむくんでるぞ、酒飲み過ぎたか、酒飲み過ぎた翌朝に走らされて大変だな」などと思ってたが、どうも違う。これは曽我部恵一だ。曽我部を峯田と間違えるとは、これだからスマホでMV見るのは嫌いだ。それにしても曽我部恵一に走らせるのか。意味も無く曽我部を走らせるって企画、すげえ。
軽やかなピアノの音に、川本と峯田が交互に歌っていく。新しい友達って一体なんだろう。何のことを歌っているんだろう。特に峯田は歌っているというよりも叫んでいる。まあ峯田はだいたいこういう歌い方なんだけれど、川本の歌と並べるとそのどうしようもなく叫ぶしかないような歌い方が際立ってくる。同時に川本の歌い方だってもともとはどうしようもなく叫んでいるような印象があったのに、峯田の歌と並べるとささやくような綺麗さが際立ってくる。異質な何かと何かを組み合わせることで見えてくる新鮮さというものはあるよなあ。でも、この組み合わせは異質だけれどもけっして反発なんてしていない。ああ、こういうのを友達と呼ぶのかもなあと思ったりする。
息子が小学校に入って、もうすぐ一学期が終わる。保育園という場で作った友達と切り離されて新しい環境で人間関係を1から構築中。大変だなあ。知らないヤツと、半強制的に同じ教室にぶち込まれる。クラスメイトというだけで友達になれるわけもない。しかし長いことそこにいることで、なんとなく波長が合うヤツが現れてくる。それが、友達なんだろう。ちょっとしたことでぶつかって、ケンカもして。だがケンカもしない相手が友達になるはずもなくて。だから同じ時間を過ごしただけのクラスメイトはいつまで経ってもクラスメイトでしかなく、その中で何故だか波長が合う変なヤツを発見していくのが学校の醍醐味だろうし、その格闘の果てに発見した友達は掛け替えの無いもので、ああ、こいつとは一生友達なんだなと思ったりもする。
だが、一生なんてことはない。未来が永遠に続くなんてことはない。
進学すればまた環境はリセットされる。就職して、家庭を持って、そうやって環境はことごとく変化する。転居すればまた友達たちとなかなか会えなくなっていく。なかなか会わない関係性は、それは友達なのか。友達とは毎日会わなきゃいけないのか。ほとんど会わなくても友達でありえるのか。ある程度の年齢になれば、友達だったヤツがある日突然他界することになるわけで、生きてさえいればネットを通じてやり取りもできるが、死んでしまったら一方的に想うしかできなくて、そんなの、友達じゃないやんといわれればそうかなと考えたりもする。
しかし、やっぱりそいつは友達なんだ。
亡くなってしまえばもちろんのこと、進学で、就職で、転居で、会えなくなった時に、忘れていく相手はただの知人で、そもそも友達ではないんだろう。クラスで職場で日々顔をあわすのに、その場を離れたらその人のことを1ミリも想わない相手を友達と呼ばないのと同じように。そのことを、親友の他界で思い知らされた。物理的な関係性は変わったのに、心理的な関係性はまったく変わっていない。この曲を聴いて、ああ、そういう新しいフェーズに入った友達のことを、新しい友達と呼ぶのかもしれないなあと感じた。
MVの中で曽我部恵一は懸命に走っていく。どこか目指すところなんてなさそうに、でも懸命に走っていく。目指すところがなく走るのって、人生に似ているな。走ってて、ほんの一瞬、川本真琴らしき人の姿が2度画面に写る。どうやら川の向う側にいるようだ。その近くを走っていって、曽我部はその方向を見て。でも結局2人は直接会うことなく過ぎ去っていく。会えればいいのにな。でも会えることなく曽我部は川岸で、向こう岸への道を失ってしまう。もう会えないのだろう。それでも曽我部は走っていく。そうだな、走っていく以外に生きる道は無いよなということを暗示しているかのように。
希望もクソもないような歌詞が続くけれど、その果てに「Thank you baby」と「Fuck you baby」が交互に歌われる。サンキューとファッキューはよく似てるんだなと気付かされる。こんなにも違う意味の言葉なのに、発音は結構似ている。でもよく考えたら、サンキューもファッキューも親友に対して向けられる言葉だよなあとも思えてくる。そう、ファッキューじゃない相手なんて、せいぜい知人どまりのヤツで、友達になったりすることはないんだよ。
お前は本当にダメなヤツで、そのファッキューな面をオレに存分に見せてくれていたよな、どうもありがとう。感謝するよ。
川本真琴はその昔ソニーに所属して、ヒットチャートの寵児みたいな立ち位置に辿り着いて、そこからあっというまに転げ落ちたけれど、こうして今も歌を作り続けている。9年ぶりの本人名義のアルバムを作っている。歌と、友達なんだよきっと。そういう人こそ、アーチストなんだろう。売れるとか売れないとかではなく、ただ作るしかない。そういう人の作品こそ、聴き続けていきたいし、こちらも待つとかじゃなくてある日突然「新作出まーす」みたいなアナウンスが流れてきて、聴いてみると、やっぱりそこにいろいろな発見をさせられて、やっぱりこの人すごいなあと感じさせられる。その人の、新しい友達。9年ぶりに友達にあったような、9年間のブランクを感じさせないような旧知の、そして新鮮な感覚に包まれるようで嬉しい。
(2019.7.21) (レビュアー:大島栄二)