Mom『Boys and Girls』
【たまたま音楽をやっているだけで、別に詩人であったっていいのかもしれない】
聴いていてポップなナンバーかと思っていたら途中からラップパートが入ってきて、ん、ラッパーかと思ったらTwitterの自己紹介欄には「ラッパーでもバンドマンでもないです」と書いてあった。バンドなどで普通の歌を歌うボーカルとラップパートを歌うボーカルが別々に存在していることはよくあって、そういうのがミクスチャーと呼ばれたり呼ばれなかったり。音楽を広めていくためにはジャンルとか肩書きのようなものが必要なのかどうなのか議論は延々と続いていて、基本的に僕は必要派なのだが、その理由は、その音楽がなんなのかおぼろげにでも判らなければ、初めて接する人が接する機会さえ失ってしまうからということに他ならない。音楽に関係する人でもビジネスのところにスタンスを置く人は必要派が多いが、表現者の立場の人には不要派の人も多い。その主な理由は「聴けばわかるだろ」だったり「過去にない音楽をやってるつもりだし、だから既存のジャンルなんかには当てはまらない」だったりする。確かにそうだ。新しいものを生み出さないのなら表現なんてする意味は無い。既存のジャンルの型にはまって新しいものなんて生み出せるかクソがっと思う気持ちは尊い。それでも、やはりジャンル分けというのはある程度必要なのだ。
ここのところのせめぎ合いがあるから、ビジネス派のスタッフは新しいアーチストと組むたびにそのことを言い聞かせなきゃならないし、アーチストはというと毎回抵抗を示さなければならない。その意見交換の中で、相手の言うことの必然性のエッセンスを感じ取り、理解しながらも自分の説だって折れずに主張し続ける。そうして歩み寄っていくことでお互いがちょっとずつ成長することが出来る。これを「お前はもう黙って従えばいいんだ」と事務所の社長が通告するだけで、所属アーチストがただ理解無しに従えば、新しいものなど生み出す能力を失った木偶の坊が生まれるだけで、それは結局誰のためにもなりやしない。「そうか、自分はこういうジャンルなのか、その既存のジャンルの過去のアーチストはどんな音楽をやっていたんだ、ふむふむ、じゃあそれを踏襲して似たような音楽をやればいいんだ」ということになってしまうだろう。アホかと思う人も多いかもしれないが、実際はそういう過程を経て、二番煎じ三番煎じの陳腐な音楽を模造しているだけの「アーチスト」は少なくない。
話が長くなってしまったが、このMomというアーチストは、いったい何者なんだろうか。ラッパーでもバンドマンでもないと公言して、じゃあ何なんだろうか。まあ何でもいいんですけれど。どこかの事務所に所属しているかどうかもよく判らないし、判らなくてもどうでもよくて、聴いていて、ああ、この人は主張したい何かがあるんだなということが一番前面に押し出されているように感じられる。たまたまラップもやってるし、サウンドだってポップロックのようなものを創って言葉を乗せてるけれど、それはたまたまそうしているだけで、別に詩人であったっていいのかもしれない。この曲はそういう決意表明の言葉のように響いてきて面白かった。決意表明といっても、実際にはもう2ndアルバムリリースなので、今さら表明するタイミングではないし、彼にそんなつもりも無いのだろうけれども。
(2019.5.7) (レビュアー:大島栄二)