路地『日々を鳴らせば』【知っている人だけがこっそりとマイフェイバリットな音楽として愛でているような】
新年度に入って、路地の新しいMVが公開されていた。この曲が配信を開始するということとリンクしたMV公開だと思うが、これがまた心地良い。彼らのレビューを最初にしたのが2015年で、それから約3年半経過している。当時のレビューの中でまだ300回程度の再生だったMVは多少増えて1800回とちょっと。今回のMVが公開から1週間ほどで1200回なので当時と較べると勢いも注目している人も増えているとはいえるだろうが、それでもこの音楽クオリティからすればまだまだ少ないね。
前回レビューした「夏のよる」もそうだったが、今回の「日々を鳴らせば」でも日常の陽の当たらないところに感じられる温かみのようなものを表現している。歌詞の冒頭で「笑い話も寄り付かぬ朝」という描写から始まってて、舞台こそ朝なのだけれど、一日が始まるからってそんなに元気全開でスタートなんてできんわと毒づきたくなる低血圧諸氏の気持ちを代弁するようなシーンが広がってくる。なのに、曲調も歌も、ずっと日影であったとしてもその日影を楽しむようなトーンが全体を包んでいて興味深い。そもそもバンド名からして路地だ。そのバンド名が曲の最後の方に登場してくる。「秘密裏の花〜路地裏にそっと〜名前すらないけど」と。これは勝手な解釈だが、路地というバンドは路地裏にそっと咲く名もない花のようなものなのではないだろうか。そっと咲く名もない花が醜いと決まってるわけはなく、むしろそういうところにひっそりと咲く花にはそのひっそり感にプレミアムな美しさが備わってさえいたりする。人々が名所の桜を求めて右往左往している頃に道端にそっと咲くムスカリやネモフィラは、ほとんどの人が咲いていることにさえ気付かないで通り過ぎるけれど、注目すれば実に綺麗。だとしても本人たちはそんなにそっと咲いていていいとは思ってないのかもしれないし、何かのきっかけでブレイクして売れっ子になりたいと思っているかもしれないし、そうやって売れればそれはそれで素晴らしいことだと思うけれども、じゃあ何かのきっかけもなくMVの再生回数が数千のままであったとしても、それ故に見逃して聞き逃していいような音楽なんかじゃないし、その価値を、知っている人だけがこっそりとマイフェイバリットな音楽として愛でているような、玄人好みするような音楽のように感じる。
(2019.4.16) (レビュアー:大島栄二)