Paul McCartney『My Valentine』【贅沢の極みともいえる曲とMV】
バレンタインデーにそれっぽい曲をと思うと、国生さゆり『バレンタインデーキッス』がこれが思い浮かぶ。国生さゆりのでもいいんだけれど、今回はこれにしときたい。終始暗いムードのテンションで歌われるのだが、歌詞は愛と希望に満ちた力強いもの。その強い愛と希望が何らかの確証に基づいたものなのかというとそうではなく、ちょっとした思いつきのような当たり前の言葉と、そこから派生する妄想のような思い込みによって愛と希望が生まれている。そういうの、いいよなあと思う。もちろん「いいよなあ」と思うのだって確証に基づいてる訳ではなくてただの妄想のような勝手な感想であって、そうじゃないだろもっと堅実に考えろよという声だって飛んでくるのかもしれない。だが、ある事象にたいして妄想のように「いいよなあ」と感じられるのか、逆に「もっと確証無いと安心して良いとは思えない」のか、その違いによって人の幸福というのはおおいに変わってくるのだろうと思います。だって人間なんて無力なもので、自分の力だけで100%の状況を生み出せる訳もなくて。そんな中で無根拠な思い込みができなければ、確証をベースにした幸福感など手にすることはできないのだから。身近な誰かからチョコをもらって、たとえそれが義理チョコであっても「ああ、チョコをもらえたなあ、幸せだなあ」と思えばいいのだし、もらえなかったとしても「雨はいつか上がり、太陽はいずれ輝くんだ。ポールもそう歌ってるじゃないか」と思って未来に希望を託せばいいのだ。そういう人を「幸せ者」というのです。
この曲、MVでナタリーポートマンとジョニーデップが出演してて、普通のバンドならそれだけでセールスポイントとして話題にしようと躍起になるというか、そもそもこんなスターは出てくれません。しかしそれだけじゃなくて実際にアコギ弾いてるのはエリッククラプトンで、そのことはYouTubeの説明欄に一切書かれてないとか、なんという贅沢なこと。この曲、ジョニーデップが出てこない、ナタリーポートマンだけのMV(無駄な贅沢の極み)もあるので、興味ある人はそっちもチェックしてみるといいのではないだろうか。
(2019.2.14) (レビュアー:大島栄二)