毛玉『雨降りの午後に珈琲を』【つかの間のどっちつかずな時間帯のブレイクを許してくれるよう】
この雨が上がる前に 決めなくちゃ 大事なこと
電気ケトルが不安をあおって お湯を沸かす
(「雨降りの午後に珈琲を」)
珈琲は飲めないが、紅茶、ハーブ・ティーとサンドイッチなどでブレイクをする時間が欠かせず、いとおしい。ランチでもディナーでもない、曖昧な時間、腹ふさぎとでもいおうか、夕方に向けて動くには本格的な飲食は避ける。お茶漬けも朝食でもない、ランチでも晩餐でもないときに作るときがある。かの北大路魯山人が「茶漬けは、なにもかもが口に不味い時、盛夏のように食が進まぬとき、美食として働く」と記していたが、美食というよりは思考と胃袋を仕切り直せるための儀式にティータイムやお茶漬けの役割を再確認する。
毛玉は、少しずつ拓かれた方向に進んでいると思う。当初の即興性と前衛性の色合いがあったときからすると、「うたもの」への傾倒が如実にあらわれながら、「うたもの」と括るには浅愚で、MPBからの影響、リズムの複雑さや音色へのこだわりまでふわふわとした安定性の中でのひねくれながらまっすぐなポップ・ソングが増えている。シルキーな質感には、カンタベリー・ロック・シーンに垣間見える歴史の影映と、彼ら自身でも言及している世界的なアーティスト、カエターノ・ヴェローゾのインテリジェンスやアート・リンゼイの奇妙なセンスから、一定のトーンが仄かに地続きなままで捻じれてゆくような、そこにしっかり声が届く。これまではジャジーな側面が強かったが、アルバムの中には、ソウル、R&B色が見える曲もある。
この「雨降りの午後に珈琲を」は、つかの間のどっちつかずな時間帯のブレイクを許してくれるようでとても優しい。安息のときとは、人の数の分だけなだらかに自分に還り、小さくも大きな次の決断をするための色のつかない時間なのかもしれない。
(2019.2.12) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))