和田唱『1975』【自分のルーツというものから別に逃げる必要など無いんだよなあ】
タイトルの1975は和田唱の生まれた年。42歳か、このあいだトライセラトップスが若手バンドとしてでてきたような気がするけど、活動開始から22年。もうベテランバンドだし、和田唱もうオッサンだ。その彼が東京の街並を歩きながら進んでいくMVが楽曲とリンクするように心地良い。映る街並は歌詞にも出てくる原宿辺りから外苑前付近で、それはかつてトライセラが所属したレーベルが在る辺り。1975年に彼が生まれ育ったのがどこかは知らないが、生まれたアパートに行くだろうと歌い、点いている灯りをただただ眺めているだろうと歌う。暮らしていた頃にはそこを通るのが当たり前の場所が、離れればたとえ近くに行ってもただ眺めるしかない距離を持つ。当たり前のように鍵を刺したドアノブに触れることなど許されない。それは法的に許されないだけでなく、許されて触れて鍵を開けたとしても、そこはもう自分のかつての場所ではないことがあからさまになってしまうからだ。それでも人はかつての想い出が詰まった場所に行きたがる。僕も東京に行ったら訪れたい場所は決まっている。訪れたところで何かが得られたりするわけではないのに。
記憶をなぞるような歌詞だが、新しい出会いをきっかけに前に進む流れに向かっていく。和田の軽やかなボーカルと同様に軽やかなサウンドがこういう前向きな歌詞を増幅するような印象を強める。心地良い。1975という生まれた年を意味するタイトルは、過去に執着するノスタルジーなのではなく、そこからスタートして今もまた新しい方向に向かっていくという意志を表しているのではないだろうか。そういう意味では何歳になっても人生今この時がターニングポイントなのであり、後ろを振り返ることは後ろ向きになることではなく、前を向くための現在位置確認の作業であっていいということなのかもしれない。そう考えると、デビュー当時と違って2018年の和田唱の顔つきがお父さんの和田誠そっくりで、自分のルーツというものからは逃げられないのだよなあという想いと、別に逃げる必要など無いんだよなあという想いとが交錯してきて、面白い。
(2018.10.13) (レビュアー:大島栄二)