小林未奈『誰のせい』
【遠くから流れる音楽が持つ他人性が人の背中を後押し】
最近は人に「頑張れ」と安易に言ってはいけないというのが一般的になってきている。頑張れがプレッシャーになるからだ。では頑張らなくてもいいのかというと必ずしもそうではなくて、頑張れが背中の後押しになる場合も少なくない。ラクダに重い荷物を背負わせて、最後に麦わらを1本載せたことがそのラクダの限界点を超えてひざから崩れ落ちるという例えがあるように、普通だったらなんてこともないはずのその頑張れが精神を崩れ落ちさせる。ではラクダに何も背負わせないのがいいのかというとそれも極端なことで。同様に人間もある目標に向かって向上しようという想いも行動も尊くて、それが変なことにならないように近くの人が注意深くケアしつつ、本人の頑張りを適切に後押ししていければと思う。
小林未奈というシンガーのこの歌は、ある種のプレッシャーから逃げ出そうとして誰かのせいにしそうな心から、脱して前向きに進んでいく様子が歌われている。いつの世にもあるメッセージソングであり、こういう歌をきっかけにちょっとだけポジティブになっていくのは悪いことではないし音楽の意味のひとつだ。人間関係があってその言葉を否定しにくい相手からの頑張れとは違って、遠くの知らない誰かが歌う「頑張ろう」は、嫌なら否定すればいいし、否定したことで頑張ろうの主が傷つくことを心配することはない。遠くから流れる音楽が持つ他人性が人の背中を後押ししやすい理由はそういうところにある。
(2018.10.8) (レビュアー:大島栄二)