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立ち耳スコティッシュフォールド『青い森』【潔さの中に期待する気持ちを託してみたくなる】

何ひとつ媚びたところがない真摯さを感じる。彼らが何か突出したものを持っているとは思わない。自分たちにない何か突出したものをなんとか獲得しようという焦りもなく、ただただ今の自分たちが持っているすべてで表現しようという潔さ。こういう潔さが、とてもいい。ある意味、その潔さが音楽に現れていることが結晶となり価値に昇華しているようにさえ思える。世の中には多くのアマチュアバンドがいて、ライブを見に行くと自己満足で終わっているしこの先の発展は一切見込めないよねと確信するバンドも多い。というかほとんどがそうだ。そういう有象無象とこの長い名前のバンドとを区別するものは、潔さだ。若者がなにかに挑もうとする時、多くの失敗を繰り返してきた大人たちがやめとけと口にする。既に経緯を通り過ぎた大人たちの用心は稀に示唆になることもあるものの、大抵は未来を失った者の愚痴でしかない。未来にまだ時間を持っている若い世代が、過去に大人たちが繰り返してきた失敗に果敢にチャレンジする姿は潔い。そのチャレンジはほとんどのケースでまた失敗に終わるだろう。だが、やはりチャレンジをする以外に成功への道は無いのだ。大人が成功を約束する手法で作る表現は予算とコンセプトと企画書でスタートする。ザ芸能界的な「アーチスト」が圧倒的につまらないのはそういう理由だ。失敗を怖れない潔さの中に、稀に惚れ惚れとする輝きがあるのもそういう理由だ。覚えにくい長い名前の彼らがきっと成功するぞと断言する確信などない。それどころか1年後2年後に存在していない可能性さえ容易に想像できる。でも、こういう潔さで表現に挑んでいる曲の、無くなることはない作品の中に光るものを感じることは出来るし、その光になにがしの期待を寄せることはいいことだ。

(2018.10.4) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl