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スーパーノア『なつかしい気持ち』【なんてことのないフレーズに、人が人生の中で感じるはずの切なさや懐かしさを表していて】

どちらかというと物持ちが良い方で、ちょっと片付けようとすると30年前のメモなんかが次々と出てくる。中学生の頃にビデオデッキを手に入れて、以来延々とビデオテープを買っては放送を録り貯めてビデオテープの爪を折る。そんなテープが山のように積まれた部屋で独身時代を過ごしていた。やがて結婚してさすがにその山のほとんどを捨てたが、ちょっとしたノートや何かはオフィスに持っていくことでその後も残し、今に至る。しかしさすがにこれは持ち過ぎだろうということで、身軽になりたくて断捨離に手を染める。掃除をすれば懐かしい雑誌等を見つけて手が止まり座り込んで読み始めて1日が終わるなんてことはよくあることで、だからもうそういうことは止めてどんどん捨てる。時々、あっこれはとっておいた方がいいかなと思うこともしばしばだが、過去5年以内に開いていないものはもう要らない物だと割り切って捨てる。どんどん捨てる。だんだんと悲しい気持ちになってくる。
何で悲しくなるのだろうか。それは僕が過去に生きているからだ。過去の延長線上に今が在る。それはその通りだし、過去を一切切り離した現在も未来も有り得ない。だがそれは別に物を持ち続けることではなくて、過去とのつながりを記憶しているというだけで成立する直線で、だから、物などは無くなっても良いし、貴重なビデオももう見返す時間が無いのなら、もう手元に無くったって別に人生が毀損される訳ではないのだろう。

誰かが音楽を聴いていると彼らは歌う。そのなんてことのないフレーズに、人が人生の中で感じるはずの切なさや懐かしさを表していてすごいなと思う。こういう表現を聴いていると、物を持ち続けることに執心している間に見逃してきたものごとがたくさんあったんじゃないだろうかという気持ちになる。過去を顧みて懐かしく思うというのは、その過去の地点では可能だったいくつかの選択肢に、もっとイイその後の人生が待っていたんじゃないかという妄想と、いやいやその時の選択が正しかったから今の自分があるんだという妄想とが入り乱れて訳の判らなくなる様子のことなのではないかと、この曲を聴いて感じたりした。

(2018.8.23) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl