高橋りゅうた『東京の風』【心はいくつもの場所に同時に暮らすことが可能なのだと教えてくれているよう】
東京について歌った曲はたくさんある。有名無名に関わらず本当にたくさん。誰もが歌うような曲をつくったところで目立つことはないだろうに、誰もが歌う。渡良瀬川とか津軽海峡とか天城越えとかだったらとりあえずその地域では盛上がって応援してくれるだろうし、そこピンポイントで曲を探している人ならかなりの確率で辿り着いてくれる。だから今さら東京とかニューヨークとか超大都会の歌など歌わずに地方都市のご当地ソングを歌った方がビジネス的には美味しいとは思う。だが、人が東京を歌うのにはわけがある。特にシンガーが東京を歌うのにはわけがあるから仕方ないのだ。そのわけとは何だろう。地方で音楽を好きになり、若者がほとんどいない田舎よりも東京の方が可能性があると信じ、取り憑かれたようにして東京に向かう。そこで苦闘する。たいした成功に巡りあわないとしても、一度故郷を後にしたという決意があるから、自分のその決断を否定するように帰郷することには抵抗がある。成功など無くとも、田舎の何も無い暮らしよりは渋谷や新宿の眠らない街の方がやはり魅力的に思う。住めば都だ。それはもしかしたら気付かずにいる麻薬のような暮らしかもしれないのだとしてもだ。だから、シンガーはその特別な街東京のことを歌にする。歌がまったくの妄想から生まれる化学物質などではなく、自らの体験や想いを託すものだとすればやはりそれは当然のことなのだ。自分の過去の決心をどこかで肯定するためには、東京の歌を歌うことは必然のことであり、その決意はシンガーでなくとも、多くの地方出身東京人の心を打つ。東京ソングが多いから個々の東京人が感動するのはそれぞれ別の歌なのだけれども。
岩手出身の高橋りゅうたの東京ソングはとても優しい。東京に暮らすことを肯定しながら、故郷のことを否定することもない。実際に暮らす場所は1ヶ所であっても、心はいくつもの場所に同時に暮らすことが可能なのだと教えてくれているようだ。
(2018.6.1) (レビュアー:大島栄二)