ART-SCHOOL『OK&GO』
【彼らが居ることで安心する同業のアーティスト、ロック・ファンは多い】
生き延びていると現実は時おり冷酷過ぎて、またやるせなくてどうにも受け止められないことが出てくる。ただ、生き延びられなかっただけではなく、生が何らかの形で産声をあげた時点でいつか終わるから徐々に敏感に臆病になっているだけかもしれない、とも思う。それなりに生きて平穏に逝く、なんて主体のエゴで、その主体は装置的に入れ替えればいつでも今、生き残っている人たちの声が小さくとも大切で、その大切さは過ぎてからこそ、あっという間に重ねる歳月の中でこそ観直されるとしたら、生きることで見えすぎる現実は満更悪くないといえるし、極々光のような何かが個別に見えたらそれを内面に預けていけばやっていけると。
同名タイトルで初期の彼らの象徴する曲でもある、ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』のハンスは社会の構造内で追い詰められてゆく。ただ、その青い心はずっと大人になりきれない繊細な感受性として既存の分厚い社会側からは看過されるのはいつの時代も然程変わらない。生きてゆくためにはもっと図太くないといけない、もっと厚顔に、と強制される内にそう慣れされてゆくようで、そうではなくなったときに、心にはずっと優しげな青みがあることを知る人も少なくなくいる。ポール・ニザン『アデン・アラビア』の何度も引用され続ける文章のように若さが素晴らしいことでは決してなく。
ART-SCHOOLも今や様々な世代からの支持を受ける長いキャリアになった。必ずしも派手な大きなブレイクと活動をしている訳ではないが、彼らが居ることで安心する同業のアーティスト、ロック・ファンは多く、バンド・サウンドの良さを再実感できる。自身も02年の実質的なデビューシングルの「DIVA」は当時擦りきれるほど、聴き、その後も好きな曲は沢山ある。その軸を担う木下理樹はずっと社会の中で阻害されるどうやっても大人になりきれない繊細な心情とか細い声でグランジ直系のひずんだ音像に埋もれながら叫び、そして、危うい時節を何度も乗り越え、今も生き延びているのが不思議なほどで、ただ表現はより澄んできているようで、この曲もこれまでにない端然とした優しさに包まれている。生き急ぎ、性的衝動に溺れ、実存的な孤独に苛まれ続け心身ともにボロボロになりながら、歳を重ね、壮年といえる年齢で、「からかわないから笑って」と歌うのはとても心に響く。家庭を持たなくても、大人になってするキャッチボールはまた楽しいし、あの頃出来なかったことをいい歳になってするのは社会の要請など関係なく、ほんの外側の深呼吸が可能な小さな空き地でできる。そんな空き地を探せるかどうかで大人になるか、なれないかなどのテーゼはどうでもよくなってきて、繊細さや感受性の違いも個々の強みなのだと感じられる気がするとともに、個々のそんな違いが分かってくる想像力が育まれるのが歳を重ねる良さのひとつなのだとも思う。
(2018.3.15) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))