清水翔太『Good Life』
【Good Lifeのゴールが社会的にサクセスではなく、自分自身でいろということ】
どこまでが本当の声で、どこからが偽の声なのだろうか。エフェクトがかなりかけられていると思われるボーカルが淡々と歌う。歌うというのが適切なのか、語っているというべきなのか。その人工的な声は、だからといってボーカロイドのものとは違うし。でもボーカロイドだからそこに心が無いなどという指摘は間違っていて、人工的な声だからこそ本音がいえるような側面もあって。だってそうだろう、匿名のアカウントの方が過激な言葉を発しているのはこのところよく目にする真実だったり。
生まれたときに人生はすべて決まっているというのはやはり嘘で。それが嘘じゃなければ頑張ったり努力する意味なんて存在しないわけで。では努力でどこまでの人生の可能性を追うことができるのか。途上国の子供は金がかかるスポーツのトレーニングなど出来ないのは当然で、だからボール1個でやれるサッカーに興じ、その中から世界的なスターが生まれたりする。それは一種のシンデレラストーリーで、人生を大きく変えることができる可能性を示唆してくれている。だが、シンデレラがシンデレラであり得るのはそれが極めて稀なことだからであり、サッカーに興じる途上国の少年のほとんどが、やはり途上国の民として繁栄を手にすること無くその一生を終える。悟空が觔斗雲でどこまで飛んでいっても結局は釈迦の掌を出ることは能わずのごとく、スーパースターになったサッカー選手も、鳥ではない以上自らの翼で空を飛ぶことなど努力で可能にすることは出来ない。
清水翔太の歌はタイトルが『Good Life』といいながら、その中身は苦渋に満ちた日々にいる者の人生を歌っている。清水自身のサクセスストーリーをほのめかすような文脈と、そのGood Lifeのスタートは苦渋に満ちていたことと。彼の歌うGood Lifeのゴールが自分のように社会的にサクセスしろではなく、社会のルールを破っても自分自身でいろということ。そのことがとても優しく響く。嘘を重ねて嘘が事実と化し、どうしようもなくなる人はとても多い。そんな時にフレンズがいれば笑えるし、自分は歌で守ると歌う。優しい歌だ。曲のトーンが全体的に暗く澱んだようなもので、自分の人生はどうだと迫ってくる。決して全員が遠く遠くにサクセスしていけるわけでもない時代の雰囲気をまとっているようでもある。そんな中で、笑って生きていけるためにはどうすればいいのかのヒントを提示している歌だ。
(2018.3.1) (レビュアー:大島栄二)