平井堅『ノンフィクション』
【年忘れの華やかな舞台の静かな歌を眺めながら】
昨年末の紅白で一番グッときたのはこの曲でした。歌う前のトークで「個人的に知人を亡くし、そのことを受け入れられなくて、そのことを勝手ながら歌にしました」と語る平井堅。その話を耳にした上で聴くこの歌。グッとささる。描いた夢が叶わなくて、すぐれた人を羨んで自分がイヤになる。本当にそうだ。自分的に落ちた人に見える自分が、対等なはずの友人との違いに愕然として言葉を交わすことを怖れる。交わせばその比較が杞憂であるということにも気付くくらいにはまともな判断力は残っているはずなのに、恐怖が会うことからも言葉を交わすことからも遠ざける。そんなの、どうだっていいことなのに。
人生には幼年期と壮年期と老年期がある。壮年期にはより高い何かに向けて自分を追い込もうとする。それが成長の鍵であることは間違いないが、その向上心が時として人を破綻へと導いていく。だがそれは人生のたった1/3に過ぎないのだ。幼年期の無邪気な日々と、老年期の当たり前さえ叶わぬ日々。そのことに思い至れば、壮年期の過度の自尊心など瞬きのようなものでしかないのだが、自信が、そして勘違いがそのことに目を叛けさせる。
平井堅は紅白出場経験も多い成功者であるが、その人が歌う「ただ会いたいだけ」というメッセージは、現在自分と他人の差に苦しんでいる多くの敗残者にとっても、力強いメッセージになるのではないだろうか。身近な成功者のまぶしさは自分を蔑んでいる人にとって想像以上の輝きなのだから、それをすべて取り去るにはまだまだ不足ではあるだろう。それでも、こういう歌の、言葉の中にある平凡や普通に、まだ間に合う人には是非気づいてほしいと、年忘れの華やかな舞台の静かな歌を眺めながら願っていた。
(2018.1.2) (レビュアー:大島栄二)