徳永憲『雪の結晶』【表現とは、シビアな現実を克明に表し鏡像化するだけではなく、うつし世を反映させる側面もある】
溶けて消えてゆくんだね
なにより、彼の消え入りそうな声でのこのリフレインが妙に染みる。
しかも、久しぶりにして待望といえるアルバムのリードに冬を先取るという「雪の結晶」というのが彼らしい。徳永憲もサヴァイヴしているアーティストで稀有な存在で、アシッド・フォークをベースとしつつ、そういった領域を越えた多彩な音楽性の下に、多様にしてときにヴァン・ダイク・パークス、ブライアン・ウィルソン的な捻じれた内的アレンジメントの部片で、イロニカルで詩的な歌詞を歌い、特有の様態で居続けており、コア・ファンも少なくない。彼が本格デビューした90年代後半にはあまたの音楽が膨大に溢れながら、その後において、その音楽の中にアーティスト自身を投影且つシーンに降下し、大文字的なオルタナティヴではなく、独自な動きで着実に音を紡いでいたりする。
きっと、時代が流れて変わろうとしても、動画や配信などで追認するカルチャーが隆盛している今でも、その当時、そこからのプロセスを血肉化している聖痕を追いかけている人たちも多いのだろうと思う。そして、表現とは、シビアな現実を克明に表し鏡像化するだけではなく、うつし世を反映させる側面もある。
この「雪の結晶」も大量に消費され飽きられ、すぐに忘れさられるばかりではなく、刹那を切り取り、滋味深く心の中に残り続けるものも現代における歌の醍醐味だと痛感させてくれる繊細で優しさを持ったものだと思う。今の時節に雪の結晶に小さく耳をひそめてみるのも悪くなく、個々に小さくクールダウンしてもいいのでは、と。
(2017.9.15) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))