LILI LIMIT『LAST SUPPER』
【別離のあとにどこかで、会者があるだけに、その固定的な部屋は出よう】
最後の晩餐には裏切りが必ず、どこかにある。
だからといって嘆くことはなく、こういうメニューで、こういう配置で、と言ったところで適わないのが人間の持つカルマのような何かで、そこを極端化してしまうと、美術館には誰も訪れなくなってしまう。博物館の方がまだ最後の晩餐に合うように。彼らはずっと一定評価を得ながらもまだまだオルタナティヴに、また孤高の道を往っている感がある。いわゆる、サカナクションの流れでもない、今世の都市内に渦巻くポップの倦み爛れたさまをそっと人間性で避けてどこから、80’sエレポップな、ブルーマンデイな音の中を今に届ける。繰り返されるフレーズ群の複雑な熱。寂しげなようで、ポジティヴな意思としてドアを開ける音から拡がる光彩。ユダもいつかは信じていたものがあったはずならば、裏切るべきは最後の晩餐のメニューの後味だとしたら、ここまでの達観と若さが混ざり美しいアレンジメントの下で、軽やかに「意味」を伝える曲はないのではないかと思う。
どんどん、彼らは良くなっていると思う。その良くなり方がどんどん流動的に不確定になっているのがもう切なくも思えてしまうほどに。もっと彼らの音楽が届かない瀬に、意味と文脈はない。別離のあとにどこかで、会者があるだけに、その固定的な部屋は出よう。人は人に優しさをもらい、人で苦しみ、また進めるからで。
(2017.7.11) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))