Alfred Beach Sandal + STUTS『Horizon』【ある者の「過去」が、他の者にとって「未来」になりうるのならば】
中学生の頃に自転車で知己と三人で70kmほどだが、小さい旅に出たことがあった。その途程に於けるかなりの急坂をどうにか越えると、当時にすると宏大な街が見わたせた。その街は工場街だったのだが、ずっとずっと先に地平線の彼方がぼんやり霞んでいて、そのときには今ほど大気汚染などでくすんでいなかった太陽の光がサイクリングの疲れや倦怠を溶かしてくれるようだった。昨今、不眠気味や良質な睡眠が取れない人たちが増えているのは生活リズムの不規則さや社会変化だけではなく、先に行けるかどうかの憂慮よりほんの僅かな希いや前向きな意思に近い足取りがあるかどうかの小さい旅の中での光の束を浴びられるかどうかよるのかもしれないとも思うときがある。
余談になるが、この頃、スーパーやあちこちでセルフレジが増えて、そこに人が「居る」。監視しているようで、使い方を分からなかったらサポートするという役割で。また、色んなお店でAIやロボットが導入されてきている。便利になっている反面、以前から言われているようなAIによって奪われる職種の期限は早まっているのかもしれず、ただ、こういうリズムと、こういうセンスは人間しか持ち得ないセンチメントな機微だと切に思う。過去にもあったが、ミニ・アルバムとしては初となるAlfred Beach SandalとSTUTSのコラボ作からの柔和なMVにして、ceroの荒内佑のローズ、ミツメのnakayaanがベースで参加したカームな空気感と、麗しく甘やかに照らされる視線に溢れる曲。そして、LAでの光景がメインになり淡いざらつきが情感をあおる。自動制御の車ではなく、あくまで程よい道をただ進むなかでのメタファーとしての地平線、メロウネス、胸の苦しさ、熱量、恋情のような目の眩みの向こうの揺れ、心情の移ろいがカーブミラー越しに流れる。ふと挟まれる列車などのショットもより光の斜度をゆがませる。車を運転して、車窓から流れる景色の風趣はどこまで行ける気がする。そういうときには、こういう音楽をずっと聴いていたい。
そういえば、アインシュタインが特殊相対性理論での時間の挙動とは、空間的にへだたった出来事には同時に在り得ないというもので、運動の状態性の異なる観測する者によってなされた時間の測位は合致しないということだった。ある者には「過去」であることが、他の者にとっては「未来」になることがありうるというならば、人は、かろうじて人間としての未来を機会(機械)に奪われることなく、まだまだ地平線へと走ることができるのかもしれない。
(2017.6.26) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))