Ghost like girlfriend『fallin’』【どこかロマンティックな彼岸の視角の先で】
低血圧なムードなものの、クールなメロウネスがスイングし、程よい残響に、時おりのブレイク、優しく刻まれるビートがすっと馴染む服のようで、また、いいヘッドホンで聴いていると、眩い音の粒や空間美の奥深さを感じることができて、こういった新世代が作り上げる(あくまで便宜上としての)シティポップの体系の先には満更でもない出口があるような躍動をおぼえる。例えば、フリーソウル、カフェ・ジャズのブームの中でお洒落と同時に重い歴譜を知ってきたような世代からしても、お洒落だけ、機能性だけじゃない側面を感じるこういった曲は幅広い層に届く深度があると思う。
MVでの、文字が画面に身体に護符みたくタイプキャスティングされてゆく感じと、アプリの吹き出し、と情報量の高い街を、うちだゆうほと安藤瑠一が歩く、ときに交差する。今のMVでは何かと必要になるダンスするシーンもなければ、大袈裟な演出も決め事も然程はなさそうに見えるが、どことなく今の瀬における“つながり”の関係性のニュアンスを何気なく虚空に還す作り方もいい。
イントロからスーパーカーの「YUMEGIWA LAST BOY」みたいで切ないな、とか、このスムースな音要素の各部にはニューソウル、AORなどのフレーズをこまかく想い出しつつ、結局は岡林健勝の甘いボーカルと詩のしなやかさ、サウンドスケイプからメロディーまでが此の日常の中に於ける音楽が今の時代に持つ疑問符に真摯に応対しようとしている姿勢に唸らされて聴き終える。そして、どこかロマンティックな彼岸の視角の先で、当たり前に文化的な諸要因が”混ざり合って”いて、興味深い。どんどんガラパゴス化しているのはどこか別の位相のテーゼでよく、こういう表現が密かに無知蒙昧な今に張りめぐされている鉄条網のようなステレオタイプや記号論を変えてゆくのかもしれない。
(2017.6.12) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))