PELICAN FANCLUB『記憶について』【「想い出をひとくち譲ってよ」って、なんてすごい歌詞なんだろう】
亡くなった友人のお別れの会を開催して、そこで集まった友人たちがひとりひとり故人の想い出を語った。その言葉たちには当たり前のように自分が知らない友人の姿があり、そこにはすでにこの世にいないはずの友人がいた。自分が知らない友人の姿を知るということはすでにいない友人とまた会うような不思議な体験で、まるで死んでいないんじゃないかというような気分になった。この曲で「想い出をひとくち譲ってよ」という歌詞を聴いて、そんなことを思い出した。示唆に富んでいる。集まった人が故人の想い出を語ってくれなければ僕にとっての新たな友人など存在するわけもなく、だから言葉には存在しないものを存在させるような不思議な力が備わっているのだろう。それはつまり日常の風景も気にかけずに過ぎてしまえば存在していないようなもので、立ち止まって眺めたり注視すれば細かなディティールまで記憶に留められるし、記憶に留められるということはすなわち存在しているということになってくる。自分の脳の中に。ということは、目に見えるものが存在したりしなかったりするということであり、だから、目に見えないものだって存在したりしなかったりすることが可能なのだ。翻って自分という存在は自分の目には見えないものであって、だから目に見えるものを観察して理解することでほんの少しだけ自分というものを理解するという、まあなんと抽象的で大事なことを歌っているんだろうかこの歌は、このバンドは。とても興味深い。自分は自分のみで存在しているのではなく、他人が友人が僕を理解して記憶してくれることで存在しているのかもしれないし、だとすれば、亡くなってしまった友人だって、僕らが理解し続けることで存在するのかもしれないなとか、そんな風なことを少しだけ思いながらこの曲を聴いた。そんなことを力強くもポップネス溢れるサウンドでさらりと表現していて、名曲だと思う。
(2017.1.20) (レビュアー:大島栄二)