毛玉『雨降りの午後に珈琲を』【つかの間のどっちつかずな時間帯のブレイクを許してくれるよう】
この雨が上がる前に 決めなくちゃ 大事なこと
電気ケトルが不安をあおって お湯を沸かす
(「雨降りの午後に珈琲を」)
珈琲は飲めないが、紅茶、ハーブ・ティーとサンドイッチなどでブレイクをする時間が欠かせず、 ...
米津玄師『Flamingo』【所在なさ、変わらなさにこそ頼もしさをおぼえる】
遊女に誑かされた一人のか細き青年が足を引き摺りながら、地下を巡る。様々な解釈はすでになされている意味ありげなMVで、それは個々で考察してもらった方がいいが、私的には吉行淳之介な風趣と阿部公房のひずみを感じたりもした。澄み切った闇に滞る ...
Spangle call Lilli line『mio』【その影響をあからさまではなく、濃霧のような音像にアートとして溶かして】
今でさえそのプロジェクトのために様々なメンバーたちが集まって一つのオブジェのような何かを作るというのは珍しくなく、インスタレーションとしての表象行為として音楽がライヴでの再現可能性を迂回して成り立つこともある。即興とポスト・プロダクシ ...
小袋成彬『Daydreaming in Guam』
【これこそが今の時代に於ける解き放たれた文学・哲学的なうたなのだ】
「分離」されたまま混ざり合うことのない夏至が続いていた錯覚がする。このご時世で禁忌なタバコやお酒やモノクロームの語りなどを織り込みながら、小袋成彬は駆け抜けた。目を開ければ、マチズモの強嵐、押し付けられるメディアの取捨選択。「正しい」 ...
岡崎体育『龍』
【彼の素朴な声で紡がれると、心が締め付けられる】
昨年から断捨離という言葉は得意ではないが、身辺整理をしていて、同時にあの段ボールの中の書籍群も読み返したことなかったな、とか、データ化できるものはすべてそうして、コンパクトなサイズのハードディスクに収まったものに妙にしみじみしてみたり ...
電気グルーヴ『いちご娘はひとりっ子』【電気グルーヴ、日本的ながらどこまでもエトランゼな存在】
電気グルーヴという日本的ながら、どこまでもエトランゼな存在。ジョイ・ディヴィジョン、ニューオーダー、レイヴ・カルチャーとの共振、同時に、日本内でのポジショニングでは「箍が外れた」ものより、ディスコ、日本語の妙が求められる磁場でのディレ ...
BEIRUT『LANDSLIDE』【様々な境界線を跨ぎ、動き続けているベイルートのようなあり方が】
宏大な空から指す新しい光に届くようなザック・コンドンの伸びやかな声と節回しが安心感と開放感をもたらせてくれる。4年ぶりとなる新作『Gallipoli』からのリード・トラック。少し説明をしておくと、ベイルートとは、レバノンの首都名である ...
GRAPEVINE『Alright』【必要なのはともに笑える大丈夫な人たちとのか細い時間だ】
ホーン・セクションの華やぎ、問いを投げかけるような歌詞の下でうねるグルーヴ。ポップネス、そして、フェイセズ、ストーンズ、ウィルコなどから通じるブルージーな重さと、どこか乾いたサイケデリックな音像。今では珍しくなったほどの”ロック・バン ...
くるり『忘れないように』【治らない病は尽きなくても、治らないわけではない未来を忘れないように】
ザ・ビートルズ中期のサイケなハネ、ザ・フーの初期のビートニク、ブリティッシュ・インヴィジョンなリズムにモッドなセンスがうねる。途中、繰り返される「Go Let It Out!」とはかのマンチェスターの世界的なバンドの過渡期と言えなくも ...
前川清『長崎は今日も雨だった』【盤石な位置にいる、これぞ「ザ・ご当地ソング」】
「ご当地ソング」というのは量産されていて、ゆるキャラも増えていて、なかなか温度差がある。そんな中でもこの曲は盤石な位置にいると思える。前川清という存在とともに。あまたの思惑に惑わされているのは当の住人で、長崎に久しぶりに行った際にさだ ...