シバノソウ『あの夏の少女』【昨年のレビューにあるライブ動画と比較してみるのも面白い鑑賞の方法かもしれない】
1年ほど前に北沢東京氏がエモーショナルな歌としてピックアップしていたシバノソウ。「いずれ千万になる再生回数100に3いいねの時代に」という切り口で取り上げていたのはどこかのライブハウスでギター弾き語りの彼女。MCトークから始まるその動画で、フレンドリーなどこにでもいる女子みたいなテイストでケラケラと話していて。今回のMVとはまったく雰囲気が違う。ほう、ちょっとの間に人はこうも変わるのだなと、当然のことなのに驚いてしまう。しかし何度も観ていくうちに、「そうか? 変わったのか? あの弾き語りライブからそんなに変わったのか?」なんて思うようになる。音楽として、楽器構成が変わっている。ロックバンドとしては最低限のギター、ベース、ドラムというシンプルな構成だが、アコギ弾き語りと較べたらまったく違っていると言っていいほどの変わり様。だが、音数が増えたことによる厚みの違いを除けば、シバノソウの音楽そのものの厚みに何の違いもないじゃないかこれ、と感じるようになってくる。1年前に北沢東京氏が「小さい歌だなぁと聴いていると「春〜♪」から空気が変わる。」と言っていた、その空気。それがこのバンド編成の曲にも確かにあって、バンドサウンドはその空気を補足しているに過ぎない。つまり、弱々しい曲がバンドの音によって多少強く見えるように後押しされているのではなく、そもそも強い曲があって、そういうことに気づけないリスナーにも強いなとわかりやすくなったというだけのこと。それは例えばただ黒い活字で印刷されていた文章が、重要なポイントにマーカーを引かれたり、赤字で印刷されたり、大きな活字で印刷されたりして誰にでもわかりやすくされているみたいなことで。そうした工夫がされればたいして意味も無い文章だって重要な文章に見えたりするようになるけれど、工夫があろうがなかろうがたいして意味も無い文章は意味のないままでしかないのであって、逆に意味のある文章は工夫があろうがなかろうが意味があるのだ。シバノソウの意味とは、北沢東京氏のいうところの「空気」に象徴されているわけで、それがどういうものかを感じるために、昨年のレビューにあるライブ動画と比較してみるのも面白い鑑賞の方法かもしれない。
(2020.8.13) (レビュアー:大島栄二)