松本佳奈『幕開け』【誰かに理解してもらえるとは思えないその表現が、巡り巡って価値となってここにある】
誰もが、最初は売れたいと思う。だから売れている誰かのスタイルを真似る。売れるということは多くの人に支持されるということで、だから、多くの人に共通する何かを代表するような表現をすることになっていくし、それは誰もが持っている表層の上澄みのような表現にならざるを得ない。そんなことが最初からわかるはずもなく、わかるのはただ売れるというのが魅力的だということで、魅力的な売れている人がどんな音楽を表現しているのかは真似るべきサンプルがそこいらにゴロゴロしているので、自分とは何かということに目を向けることもなくただただ何かの後追いをすることになる。
それでも、売れるならまだいい。問題は、そうやって誰かの後追いをするだけでは99.9%の表現者は売れないということで。売れもしないし、自分とは何かの表現もできないし、一体自分は何をやっているんだと情けない想いに苛まれてばかりの日々を迎えてしまうことになる。
そこで辞めてしまえば、いっそスッキリするだろう。最初から自分なんてものはないんだと割り切り、そんな自分が売れるなんて浅はかだったよと割り切り、表現なんてものから身を退くのなら、それがいちばん楽だし簡単だ。そして多くの自称表現者は音楽なんてものをあっさりと捨てていく。
しかし、そんな中のごく一握りの変わり者が、めげずに凹まずに音楽にしがみつく。売れようと思ったってそんなの簡単じゃないよ。価値があるのかどうか理解できない上澄みみたいなことを歌うことに疲れ、それでも音楽を諦められず、売れるという現象を諦めて、売れそうもない音楽を作り始めるようになる。
どうせ売れることなんて期待しないのだから、つまりは誰かを楽しませることなんて目的じゃないのだから、自分が楽しめる音楽を作ればいい。誰もが見向きもしなくったって、自分が楽しければそれでいいじゃないか。誰の機嫌も取ろうとしない音楽は、いきなりマニアックになっていく。実験的な風変わりなものということではない。自分だけのオリジナルな体験だ。こんな自分にしかわからないようなことを歌ったところでどうせ誰にも共感してもらえない。それでもいいのだ、だから、真実を表現できる。実に私的な、嘘の無い真実の歌。そうして、オリジナルな表現に行き着くケースが稀にある。それは何かを諦めて自分だけのものにこだわるようになって初めて見えてくる道だ。これぞ本当の唯一無二。浮かれたミュージシャンたちが自分の音楽性は何かと聞かれて何も考えずに口走る「唯一無二」とは、売れるための肩書きとして使っている安易な言葉だが、そんなのはニセモノの唯一無二で、本当の唯一無二は売れることを諦めて誰からも理解してもらえないことを覚悟して初めて生み出されるものだ。どうだマイッタか。唯一無二だから聴いてもつまらないぞ。お前の感性と重なるところなんてまったく無いかもだぞ。
松本佳奈の新譜が出た。『私の日常』というタイトルのアルバムの、この曲『幕開け』は2曲目に収録されている。1曲目には『日常〜おはよう〜』というタイトルのトラックがある。前回松本佳奈のレビューをしたのは彼女が出産した直後で、今も彼女のブログにはその時の気持ちが残されている。今回のアルバム1曲目は、その時のお子さんのものと思われる「おはよう」というたどたどしい挨拶の言葉で始まっている。ああ、松本佳奈の日常がそこにはあるのだよなあと感じさせられる。以前のようにいろいろなイベントで、ストリートで積極的に歌っていたのとはまったく違った日常がそこにはあって、音楽活動がまったく変わった今の、その中から紡がれている私的な空気が詰め込まれている。音楽シーンの中での成功を夢見ていたであろう頃の日常とは違った、淡々と人が生きている日常が表現されている。ああ、今の彼女はそういう境地なのかもしれないなあと、そんなことを感じて趣き深い。
11曲目の『Strings – 2020 Ver』では「手を伸ばしても届かない、本当の自分に」と歌い、それでも「あしたへ、あしたへ、本当の自分へ」と願いを込める。この曲は2010年リリースの1stアルバム『Strings』に初収録され、その後2012年の『生きているだけの価値』にも収録されている。彼女にとって重要な曲であり、musiplで2015年に初めてレビューしたのもこの曲だった。なるほど、そうだったか。彼女は最初から自分のなにかを一種諦め、それでも諦めていることに気づきもせずに繰り返し「本当の自分」に手を伸ばそうとしていたのか。
このMV『幕開け』は、パワーワードもないままに淡々と切り取られた光景が重ねられていく。まさに彼女が今見ている光景なのだろう。コラージュのような光景の連なりには意図的な哲学や価値観についての主張はないのだけれど、光景を切り取っていく言葉の連続の中に、彼女が長い試行錯誤の果てにつかもうとしている明るい光のようなものを感じられる。その光に向かって手を伸ばそうとすることこそ人生であり、人の歩みだ。日常の中にある一筋の光。曲を聴いている僕らの目に映る光と彼女のそれはおそらくまったく違っていて、聴いただけでその光景をわかったつもりになったとしても何の意味も無いし、自分の人生が切り拓かれるということにはならない。それでも、聴いているだけで希望のような何かを感じることはできる。誰の体験とも記憶とも違った唯一無二の自分の光景。ただそれを歌うだけで、誰かに理解してもらえるとは思えないその表現が、巡り巡って価値となってここにある。誰かの希望になり得る地味な歌。聴き続けてきて良かったなと思える。
(2020.8.22) (レビュアー:大島栄二)