照沼サラ『エンドロール』【懐かしさなんていうシンプルな言葉では説明のつかない切ない記憶を】
タイムスリップしたような気持ちになる。自分の過去を疎かにしたいなどと思ったことは一度もないけど、あの過去に別のことが起きていたらと考えることはある。タイムスリップで想定するのはいつも過去で、あのとき自分は何を考えていたのだろうとか、なぜあんなことをしたのだろうとか、考え始めたらきりがないし、だいいちその時の自分を構成している環境や何かは現在の環境や何かとはまったく違うものなので、今冷静に考えて決断できることが当時に出来ていたはずなどないのだ。だから考えても仕方ないことなのに、その考えることで、実は自分の過去を大事に扱おうとしているのではないかとふと思ったりする。
この歌の持っている懐かしさはいったい何なんだろうか。先々週のいくつかのレビューで昭和歌謡ということについて考えてみたのだけれど、そういう昭和歌謡ともまた違う懐かしさ。言ってみればデジャヴのようなもので、明らかにこの光景はどこかで見たことあるんだけれども、それがどこなのかはさっぱり判らない。自分で目的地を考えて地図を見て行程を確認して行った旅行先のことは結構記憶に残っているけど、父親が「行くぞ」と言って連れ出した家族旅行で、車の中からただ外を眺めていた旅行先のことなんて、行ってるその時点ですでにどこなのかはわからない。子供の頃にそうやって連れ回された場所も光景として瞼に焼き付いているだろうし、それが突然フラッシュバックするように思い出されることはそれはあるだろう。光景じゃなくとも、音楽もそういうのはあるだろうし、匂いもあるだろう。そういったいくつかの何だったかわからない記憶を、呼び起こす何かというものはあるのであって、だからこの曲が僕に何かを思い出させ、あなたには何も思い出させなかったとしても不思議ではない。しかし、そういう個人的な体験や記憶を超えて、この公開されて半年も経たない新しい歌は、多くの人に生暖かい空気とともに、懐かしさなんていうシンプルな言葉では説明のつかない切ない記憶を呼び起こすのではないだろうか。名曲である。この曲が10回繰り返されたLPレコードがあれば迷わず買う。たとえもう手元には既にレコードプレイヤーが無かったとしてもだ。
(2018.5.22) (レビュアー:大島栄二)