Kitri『Akari』【静謐なイメージの上に多様なバリエーションを獲得する挑戦】
つい先日テレビでKitriを目にして。前回レビューした『羅針盤』で感じた透明で孤高な雰囲気が鮮烈だったから、テレビで誰かの伴奏的に演奏をしていたKitriの2人はそれをかなりギャップを感じて驚いた。彼女たちのような浮世離れした静謐なイメージを保ち続けるというのはなかなかに難しくて、いっそのことメディア拒否するくらいの戦略が必要なのだろうけれど、それをやって長い期間かけてファンをつけていくなんて余裕はもはやメジャーレーベルにはない。彼女たちの見た目のインパクト、それはピアノを連弾しているということではなく、同じような姿形の2人が並んでいるということにあって、だからその姿をちょっとでもテレビで露出したいということで誰かの伴奏者として露出機会を探ったというのは理解できるが、それでみせてしまう普通の若くて礼儀正しい女子という実像が、彼女たちがMVで魅せた特別なイメージとどうバッティングするのか、それは正直言って疑問である。それはこの動画に最初から最後までアルバムジャケットとアルバム名と、さらにはQRコードまでもがドーンと表示されているという動画の使い方にも共通することで、なんだかなあと微妙な気分になってしまう。パソコンの画面で動画を見てスマホでQRコードを読み込むという人がどのくらいいるのだろうか。YouTubeはスマホ視聴が80%以上なんじゃないだろうか。
そんな売り出し手法はともかく、彼女たちの今回の曲もクオリティは高い。過去2タイトルがミニアルバム的な位置付けなのか4曲(1曲「naked」という扱いの別バージョンがプラス)というボリュームだったのにくらべ新作は11曲あって聴きごたえある。ただ、やはりKitri色に染まりきった世界が広がっていて、よく言えば完成された世界観。敢えて悪く言ってしまうなら単調。もっともポップで明るいと思われる「さよなら、涙目」がすでにしっとりとしたトーンで、これをアイドルグループのセンターの人がソロ曲のように歌えばまったく別の曲に聴こえるだろうなと思うくらいに落ち着いている。このままこの彼女たちにしか作れない世界をキープして突き進むということと、もっと多様なバリエーションを身につけてレパートリーを増やしていくということと、どちらが選ぶべき道なのかは他人がどうこう言うべきことではないのだろう。仮に後者の「多様なバリエーション」を得ることを選んでいるのなら、誰かの伴奏的なポジションでテレビに出たり、彼女たちのYouTubeチャンネルで最近やってるようなカバー曲に取り組むという活動も多いに意味あることなのだろう。いずれにしても多様を極めた音楽シーンの中にあって彼女たちのような存在や世界はほとんど見られないので、それを活かすために様々なことにトライしていってもらえればと思う。そしてひとまわりもふたまわりも大きくて多彩なKitriワールドを聴けるようになれればと願う。
(2020.3.17) (レビュアー:大島栄二)