惑星のすみか『冬の日』【まだまだ粗削りの、だからこそ響く不器用な歌】
不器用だ。不器用な歌だ。淡々と繰り返されるフレーズが音楽としての完成度と想いを伝える乗り物としての完成度の狭間で揺れ動くようでいて、結果としてどちらにもなり得ず不器用な形を呈してしまっている。大人ならもっとこぎれいにまとめられるだろうにと思う。もどかしい。誰かこのバンドに器用さを教えてやってくれよ。でもちょっと待てよ。器用にまとまった歌がそんなに良いのか。そんなものはたくさん聴いてきた。飽きるようだ。本当に飽きている。経験とノウハウでまとめられた楽曲は飲み屋のBGMとして流す分には邪魔にならなくて良いが、心を寄せて聴こうとしてもどうにも壁があり、響いてこない。それはまるでフォトショップで皺やくすみを除去したポートレートのようなもので、そこに心を感じろといったところでしょせん無理だし無駄なこと。まだ無名なこのバンドの不器用な歌の、なんと響いてくることだろう。上手く立ち振舞うことができずにいる若者の心がそのまま伝わってくるようだ。まだまだ不器用な粗さが前に立っているので商品としてはどうなのだろうと疑問符が付くが、これが完成度を求める自らの気持ちを切らすことなく進んでいった先の、大人の余計な手を入れることなく到達した音楽を聴いてみたい。絶対に辿り着けるという保証などないからこそ、そう思う。
(2018.10.19) (レビュアー:大島栄二)