スカート『遠い春』【虚しい心理に「無駄ですよ」と声をかけているような】
スカートはもうどのくらい浸透しているのだろうか。一部音楽ファンにはかなりの高い評価を受けているし、じゃあだからといって日本のある程度の音楽ファンが全員知ってるほどのアーチストかというときっとそうでもないだろうし。じゃあ全員が知っていなければダメなのかというとそんなことはなくて、特にこの10年くらいは音楽ファンがみんな知っているアーチストなんて多分存在してなくて、もっといえば日本の中に音楽ファンというカテゴリーに含まれる人はかなり少なくて。夏の音楽フェスにはたくさんの人が集まるけれども、みんなで騒げる場が欲しいという点でいにしえの盆踊りとそんなに変わらないのではないかと思っている。であれば20年ほど前にタワレコにあんなに人が集まっていたのは一体なんだったのかというと、きっとそれも時代によって形態を変えた盆踊り的な何かだったのかもしれません。
話が逸れまくっているので元に戻したいのだけれども、このスカートというアーチストが音楽ファンという漠然とした集団にとってどうなのかなんて本当はどうでもいいことで、単に自分にとってどうなのかということだけに意味があるのであって、過去にもレビューをしてみたりもしたけれど、なんか気になる存在であることは間違いない、そんなアーチストです。
彼の音楽に対して多くの人は「透明感がある」とか「懐かしい」と評していて、それはいったい何なんだろうと思うのだけれども、聴いてみれば確かに懐かしい何かを心に抱いてしまう。その懐かしい何かに、スカートの歌声は淡々と距離を置いて存在していて、それは懐かしい記憶をいくらリアルに思い出そうとしても叶わず、結局は手を後ろ手に縛られながら曇りガラスの向こうの光景に現実を探そうとするような虚しい心理に「無駄ですよ」と声をかけているようなアーチストの立ち位置なのだろう。それでもその無駄を時折やってみては、現実世界で溜息をつくことの心地良さ。消そうとしても消えることの無い記憶の染みのようなものを誘引してくれる、スカートとはそういうアーチストなのだと思いますよ、僕にとっては。
(2018.11.13) (レビュアー:大島栄二)