北里彰久『出発』【過度なギミックが無く、凛然とした歌が届く】
小さい声に耳を澄ますと、沈黙に意趣がほだされている気になる。爪弾かれるビート、弦の軋み。空間のさざめき、演者の吐息、オーディエンスや風や不意のアクシデントまでの、刹那さ。昨年に亡くなった大家ジョアン・ジルベルトは破天荒にして奇異な生をおくりながら、ボサノヴァという新たな波の上で最小限の声と楽器で想いや郷愁、サウダーヂと呼ばれる主としてポルトガル語圏や、また、スペインのガリシア語圏で一部使われ、また、言語化がなかなか難しい失われしときへの慕情やもはや届きはしない願望への憧憬などが入り混じる。イージーリスニング的にも昨今はカフェやバーなどで用いられるが、実に奥深さと寂寥の合間を揺れながら、彼際を過去に巻き戻すかのような磁力がある歴史に支えられた孤たる音といえる。
Alfred Beach Sandalという名称から、ビーサンと定着し、ソロ活動やプロジェクト、様々なコラボで確実にキャリアを進めてきた北里彰久も本名名義で昨年にはアルバムをリリースし、ライブを活動を始めた。取材ではビーサンとしての10年の区切りなようだが、自然のタイミングとして一過程なようで、しかし、『Tones』という作品には過度なギミックが無く、凛然とした歌が届く削ぎ落とされた曲数、内容に終始されていた。ミニマルな音の一つ一つは吟味されながらも冴え渡り、多様なエッセンスは相変わらず昇華されながら、カリプソやボサノヴァの余韻を孕んだ叙情の残影には詩的な言葉が泳ぎ、声とともに弾む。加圧的で押し付けられる表現群があまりに多い中で、今一度、彼の歌に、五感を与託してみることで、亡霊めいた此岸が晴れて、半歩でも距離を置け動き出せるのではないだろうか、と思う。『出発』は特に、ドリーミーで微睡むような質感がアルバムのみならず、彼を象徴する佳曲と感じる。未聴の方は今現在でも是非触れて欲しいと思う。
ただ 騒がしく行き交う人 あの頃が遠くなる 戻らぬ日々 すぐに木霊さえ消える『出発』
(2020.3.13) (レビュアー:松浦達)