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YeYe『暮らし』
【自分のままに自然に生きるということが大切なんだと、この曲が教えてくれている】

YeYe、感じがだいぶ変わったなあ。変わったって、いつから変わったという話なのかというと、それはよくわからない。musiplで最初にレビューした2014年の『パレード』とは明らかに違う。2018年の『うんざりですよ』と較べたらどうなのか。うん、違う。声質からして違う。違うのか? 曲のテイストがそうさせているだけなんじゃないのか。それに、そもそも、アーチストの何かが変わったからといって、それがどうなんだ。

ずいぶん昔に青年団という劇団の芝居をよく観に行っていた。初期の彼らは当時の演劇ムーブメントの中で他の劇団と変わらないような歌あり踊りありの華やかなステージを展開していたものの、しばらくするとまるで違う静かな、展開もあるのかないのかわからないような芝居に変わった。それを観てて、華やかな何かというものは必ずしも必要ないんだなと思った。表現に華やかな何かなど、要らないんだ。

今年3月に3年ぶりとなるアルバムをリリースするというYeYe。京都に住んでたはずの彼女は現在メルボルン在住だという。メルボルンか。季節さえ真逆の異国に住むというのはどんなものなのだろうか。海外に移住するというのに憧れはある。だが、旅行するのと暮らすのは大きな違いで、知らない場所で暮らすというのにはちょっとだけ怖さがある。なんで怖いんだろう。地獄の果てにひとりで行けというのならともかく、そこに生まれてずっと暮らしている人も多い場所に行って住むことがどうして怖いんだろう。でも、怖いよ。別に外国じゃなくたって、知らない土地に暮らすのは国内のどこかだって多少の怖さがある。

転校をしてまったく知らない同級生の群れに放り込まれる。そこでみんなと仲良くできるだろうか。それとも仲良くなれずに独りぼっちの毎日になるんだろうか。仲良くなるために、最初は勇気を出して自分から明るく振舞っていかなきゃいけないんだろうか。ああこいつは楽しそうなヤツだな、だったら遊んでやってもいいなと思ってもらえるように、はしゃがなきゃいけないんだろうか。それはそれで大変なことだ。

だけど時々、人は変化を求められる。変化した先で、自分でいるためにはどうすればいいんだろうか。自分のままでいるためにはどうしたらいいんだろうか。

YeYeの静かな歌は、もしかしたら自分のままでいるための意志なのかもしれないと思う。4年ほど前のインタビューで、彼女は「私はナメられたくない!」と語っている。「音楽を始めた頃からずっとパンク精神を持って活動してきた」とも言っている。そのパンク精神が彼女のどの曲に現れていたのか、正直よくわからなかった。常に軽やかでポップセンスに溢れた曲をずっと表現してきたように思う。だけれども、この曲にはそんなフレンドリーなポップセンスは影を潜めて、ただ静かに自分のままでいようとする彼女が、自分のままの彼女だけがあるように感じる。そう、パンクとはそもそもありのままの自分を抑圧しようとする社会の不合理に対する反発精神だったはずで、けっしてピストルズのような音楽スタイルのことを指すのではないはず。そう考えると、YeYeが自分のままに暮らそうとする姿勢こそがパンクなのかもしれない。そして、僕らもただ自分のままに正直に暮らすことで、パンクな生き方を実践することができるのかもしれない。別に派手であっても地味であっても、うるさかろうと静かだろうと、自分のままに自然に生きるということが大切なんだと、この曲が教えてくれているように、そしてそれにはちょっとだけの勇気が必要なんだと教えてくれているように感じる。来月のアルバムが今からとても楽しみだ。

(2020.2.22) (レビュアー:大島栄二)


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Posted by musipl