メレ『117』
【自称”愛を与えるバンド”の歌う、朧げながらも優しい愛の歌】
愛を与えるバンド、なのだそうだ。じゃあ愛って一体何なんだ。少しだけ意地悪な疑問を持ちながらこのやわらかくて語尾も曖昧なテイストのボーカルが歌う歌に耳を傾けてみる。すると、やがて解る。語尾がおぼろげな分だけ解るスピードも緩やかだけれど、ちゃんと聴いていれば氷解するように理解が沁みてくる。
曲のサビとなる部分の歌詞がMVには文字として表示される。この曲は、大人という予定調和に押し出されるようにされる子供が、その予定調和の通りにいかない時に起きるギャップでもがく、その際の苦しさに対するひとつの答なのだろう。20歳になれば大人として扱われる。それが18にされるという。10歳になれば1/2成人式なんてものを押し付けられる。小学校に入る時にお受験を通過させられる子供もいる。それは大人の期待であり、それを難なくひらりと超えられる場合には前進への後押しとして機能するし、本人の成長に大きく寄与する。だがすべての子供にそれが機能するわけではない。そして問題なのは、そうして後押しによってグイグイ成長した先に、ゴールはあるのだろうかという疑問。常に成長を求められる一生が到達する地点は一体何なのだろうか。
今の時代に予想される未来とそれをベースにした期待。何かを犠牲にして淡々と準備をして、本当に到達するならばそれでいい。だが時代そのものが変わり、世界そのものが変わり、価値観そのものが変わっていく。変わらないのなら、日本は今でも平安時代の暮らしと社会がそのまま続いているはずだが、現実はそうじゃない。だれも烏帽子をかぶっていないし、ちょんまげの人ももういない。今は当たり前と思っている衣服だって、100年後にはどうなっていることやら。いや、10年後にどうなっているかさえわからない。だって、10年前にどれだけの人がスマホを持っていたのか。腕にはめた時計に話しかけて情報を得ている人なんて誰もいなかったのだ。
機械だけではない。様々なものが変わっていく。それは人々の暮らしを変え、価値観を変える。そうやって何もかもが変わった未来で、今の期待がどのくらい意味を持つのか。大いなる期待に従って勉強した多くの人がフリーターとしての人生を余儀なくされている例をたくさん見てきた。同じようなことがまた起こるだろう。だからといって何の期待も持つなというのもおかしな話で。だから今もまた現時点の価値観で将来に向けた準備が繰り返される。
その中で失っていくものはいったい何なんだろうか。その失ったものによって苦しむ人がいるのなら、それを与えることがひとつの愛の意味なのだろうし、このメレという女性2人組バンドのいう"愛を与えるバンド"とは、そういうことなのかもしれないとぼんやりと思う。
(2019.12.12) (レビュアー:大島栄二)