コレサワ『いただきます』
【いろいろな形の哲学と愛】
ずいぶん昔、ある人が「日本の歌には恋愛の歌しかない。洋楽には社会問題の歌や人間の内面を掘り下げた歌や、ありとあらゆる歌がある。恋愛の歌しか無い日本は遅れている」と言ったのを聞いたことがある。たしかにそうだと思った。テレビには若いアイドルが出てきて好きだの嫌いだのという歌ばかり歌っていた。アイドルじゃなければ演歌歌手がやはり失恋の歌ばかり歌っていた。たまに演歌歌手が祭だ祭だと歌ってたりもしたが、じゃあそれが洋楽の社会問題の歌と比較になるのかというと、どうもそんなんじゃないよなと感じるようになった。
今考えると、そんな批判は表面的に過ぎた浅い批判だったと思える。そもそも日本人は日常会話の中で社会問題などしようとしない。選挙になれば様々なスターが両陣営の応援にマイクを握るアメリカと違って、日本のタレントが政治的な意見を言うことなどほとんど無いし、言えば干されたりする。日本の音楽が遅れているのではなくて、音楽は日本のありのままを反映しているに過ぎない。それがそのまま遅れているということではないのだ。
社会的な意見を言わないから日本人が文化的に遅れているのかというとそんなことはない。音楽の世界でも昨今は社会的意見ソングもチラホラ出ている。人間の内面をえぐる名曲もある。依然として恋愛ソングが圧倒的に多いけれども状況は変わりつつある。そしてなにより、恋愛ソングが劣っているという考え方が間違っている。その程度の決めつけ的考え方で、人間の深い心理が理解できる訳がないのだ。
コレサワの「いただきます」はアニメの主題歌らしい。MVにはアニメ原作の漫画が映し出される。その原作漫画もアニメもよく知らないが、どうやら親の再婚で突然姉妹になってしまった2人が主人公のストーリーらしい。クールで威丈高な女子といかにもアニメの主人公みたいなキャラの女子と。先入観で判断すればクールな姉とキャピキャピした妹。しかし実際はキャピキャピな姉とクールな妹で、その2人の、原作ではもっとたくさんのエピソードがあるはずの中の、3分20秒のMVに入れられるほんの一部分。そんな中にも彼女たちの気遣いが浮かび上がる。血がつながらない相手のことを思春期の女の子がお母さんと言えないという話はよく聞く。実際に受け入れ難い義理の、戸籍上の、もっといえば望んでなかった関係の相手を、まるでずっと前から血がつながっていた相手に対して呼ぶ言い方で呼ぶことには高いハードルがあるのだろう。もちろんそれもキャラによるのであって、この中でキャピキャピ姉さんがそのハードルを越えるのはいかにも簡単そうだ。しかし、クールな妹の方があっさりと本当に最初から「姉さん」と呼ぶ。キャピキャピ姉の方が「急に妹と言われても困る」と動揺している。妹にさん付けしている。誕生日を祝われると言われて緊張している。ステレオタイプな設定とは違ったリアルがそこにある。
日本の漫画には本当にありとあらゆるジャンルのストーリーがあって、かつては子どもの読み物だったものが青年誌が出てきて、サラリーマン向けの漫画誌が出てきて、少女漫画も大人の女性が読む雑誌が出てきて。スマホ以前には電車の中で漫画雑誌を広げているおっさんの姿をよく見たし、今ではそうした人たちはスマホで読んでいるのだろう。日本の漫画やアニメはクールジャパンの中核的コンテンツで、世界中の人たちが愛している。文化度の点で日本が諸外国に劣っているのなら、他の国がもっと優れた漫画やアニメを量産していても不思議ではないのに、この分野では日本が圧倒的に進んでいる。日本の漫画やアニメが好きで日本語を学びたいという人たちも多い。先日の京アニ放火事件では慰霊のためにわざわざ放火現場までたくさんのファンが海外からやってきたし、驚くほどの寄付金が集まって、あらためて日本のアニメパワーを思い知らされた。言葉の壁などどこへやら。すごい。日本の音楽が海外に浸透しないのは言葉の壁の故なのか。恋愛ソングばかり作っている故なのか。それぞれの表現の違いはあるだろうが、ジャンルによる才能の偏在はあるのだろう。
このアニメ主題歌を歌うコレサワの歌がまた良い。米も愛も残さずに食べてよ。そんな愛の形を歌った歌詞を見たことがない。苦手なものあたしのお皿に置いていいよ。本当にそうだ。「それ嫌いなんでしょ、だからちょうだい」とはまったく違う愛の表現。こういうちょっとした言葉に、作者の日頃の暮らしや視点や、結局は哲学が現れる。社会的なことを歌ったから深いのではない。浅い社会的ソングもたくさんある。恋愛を歌ったから浅いのではない。深い恋愛ソングもたくさんある。この曲はまさにコレサワの哲学がにじみ出た歌だ。アニメの主題歌を書き下ろす時、どうしてもそのアニメのストーリーや設定に縛られがちだけれど、この歌は血のつながらない姉妹という設定など関係なく、普遍的な愛について深いところで歌っている。そう、愛は設定によるものじゃなくて、様々な関係性に共通の心理であるべきだ。だから設定に関係ないラブソングが、このアニメと重なっても、アニメ原作からのファンにもスーッと浸透するのではないだろうか。このアニメを観る人は、残らずコレサワのファンになっていくんだろう。
(2019.12.10) (レビュアー:大島栄二)