ラッキーオールドサン『旅するギター』【自分たちなりの幸せの形を宣言している旅するギターの2人】
ほのぼのとしていてイイね。旅するギターというタイトルのMVで2人がツアーで各地を回る旅先でのさまざまなシーンが次々と映し出される。京都や大阪、神戸といった関西でのものが多いように思えるが、全部の場所を特定できるわけではないし、特定することに意味も無かろうし、そういうシーンは、彼らが過去にそれからこれからどこに行こうと、それらのひとつの象徴としてとらえるべきだろう。いろいろなところに行っている、2人の表情がどれもこれも楽しそうで幸せそうで、音楽の曲調や歌声と相乗効果的にこちらの気持ちをほのぼのとさせてくれる。だが歌詞をよくよく聴いていると、そんなにほのぼのなのかという気持ちになってくる。「居場所がどこにもないから身を寄せあった」という歌詞が突き刺さる。居場所って本当に大事で、それが有るか無いかで人の心持ちはずいぶん変わる。仕事が生きがいだったり、家族が生きがいだったり、趣味が生きがいだったり、みんな人それぞれだけれど、心の底からそれが自分の居場所だと100%確信している人なんてきっといなくて、とりあえず今のところはそれを信じて生きているけれど、それが永遠に続くなんてありえず。バンドで全国を旅する2人にとっては、その活動が当面の居場所なのかもしれない。移動しては演奏するという日々が、ミュージシャンの居場所そのものなのだろう。ギターは、人ではない。意志もない。だからケースに入れられては持ち主の思惑で毎日いろいろなところに引き回されるだけだが、では人間はギターとは違って自分の意思でいろいろなところに行っているのかというと、それもどうも違うんじゃないかとちょっと思う。明日はどこに行くのかもしれず、いや、明日くらいは知っているだろうけれど、半年先にどこに行くのかはあまりハッキリとしてなくて。それでも毎日いろいろなところに旅をして歌って。その今居るところが自分の居場所と思えるのなら、それはそれで幸せなことではないだろうか。
ラッキーオールドサンの2人は、この2月にめでたく結婚したらしい。結婚もまた、居場所を作る上でのひとつの方法だ。結婚して一緒に立つ各地のステージは、それまでとは違った見え方をするのだろうか。歌の中で「地球の上に朝が来る、ぐるっと回って夜が来る。続きを見たい旅するギター」と歌われる。また「そんなことより明日の話をしよう」とか「永遠みたいなロードムービー、夢なら覚めないうちに。それが一番いいのさ2人には」と歌われる。そういうのをこのほのぼのとしたメロディと併せて聴いていると、結婚という形を選んだ彼らの、自分たちこそが旅するギターであり、この歌で自分たちなりの幸せの形を宣言しているようにさえ思えてくる。一時的であろうと心から信じる幸せの形を表現するその歌には、力強ささえ感じられるから不思議だ。
(2019.4.22) (レビュアー:大島栄二)