<!-- グーグルアナリスティック用のタグ -->

木村充揮『天王寺』
【標準語では絶対に成立しない、大阪弁が生み出す愛と一体感】

天王寺に行くと梅田や心斎橋とはまったく違った雰囲気に包まれる。同じ大阪でこんなにも違うのかと驚かされる。別に治安が特別に悪いということでもないが、そこらへんに酔っ払いのおっちゃんが真っ昼間からいて、慣れてないとゾワゾワとする。他の街では見たことのないファッションの人たちが自転車をこいで行き来してる。嫌いじゃない。

木村充揮はいうまでもなく憂歌団のボーカルで、曲こそ胸に沁みるブルースのオンパレードだが、このライブ動画を見ればわかるとおり、喋りが面白い。喋りが面白いといったって計算されたネタを披露するお笑い芸人の面白さとは違って、ナチュラルな喋りが面白い。大阪の人だなあって感じ。大阪と東京は全然違うわけだけれど、なにがどこが違うんだという疑問には、彼の喋りを聞くだけで答えが見えてくるような気がする。その天然の喋りが成立するのは客が遠慮なく突っ込むからで、他のアーチストのライブではあまり見られるものではない。かつて泉谷しげるのライブでも客は泉谷しげるのことを「おい泉谷!」「こら泉谷!」と突っ込んでて、それに泉谷が「おまえらうるせえ!」と応えるのが一種のお約束だったりしたけれど、それと似ている。喋ってはいけないとか、この曲が始まったらオールスタンディングにならなきゃいけないとか、ライブにはそれぞれある種のお約束があるもので、それは例えば歌舞伎で「○○屋!」とかの合いの手を入れるのと同じことなのだろう。そのお約束に従って常連客が木村に罵声のような合いの手を入れて、木村が罵声倍返しで応えて。しかし憎悪に基づいた罵声ではなく愛情120%の罵声だから、ライブは楽しく、一体感を持つ。これを標準語でいくら愛を込めようとも大阪弁とイコールにはならず、一体感など生まれずに殺伐とした空間にしかならないだろう。

その木村が歌う『天王寺』。ああ、この街がふるさとなのか、なるほどな、あの街の他所者にとっての違和感と、アクの強さと、心地良さは、そのまま木村充揮のキャラクターとなっているのだなあと納得させられる。

このライブ動画、musiplでは『天王寺』の部分だけ視聴してもらう設定にしているが、1時間以上のライブ全編を楽しむことができるし、『酒と泪と男と女』や『胸が痛い』といった代表的バラードを聴くこともできて、トークとのギャップも含めて木村の世界を堪能することができる。もちろん動画なので合いの手を入れることはできない。どうしても掛け合いをしたい人はライブに行ってもらえばいいだけのことである。

(2019.10.12) (レビュアー:大島栄二)


ARTIST INFOMATION →


review, 大島栄二

Posted by musipl