フジファブリック『若者のすべて』
【次を期待しても、次があるとは限らず。それでも日々は続いていく】
亡くなったボーカリストの歌をその後聴くというのは不思議な体験だ。彼が生きていた頃の空気や温度をそのまま思い出す。そこには彼はもういなくて、いってみれば墓標のようなものでしかないのだけれど、その墓標が有るのと無いのとでは何かがまったく違ってて。思い出す必要のない人までが思い出すよすがになったりするのだけれども、思い出したい人にとってもやはりそれはよすがになって、だからそういう墓標のようなものはあった方が良いんじゃないかな、シンガーであれ、無名の人であれ。
この曲はまさに彼らを代表する曲で。淡々と歌う歌詞がとてもぼやけてて、だからこそそのぼんやりとした像にリスナーは自分の体験や感情を託してしまうのだろう。何年経っても思い出してしまうな、ないかな、ないよな。季節が巡ってまた夏がきて、そうしたらまた花火を見ることはあるだろうし、そうしたら最後の花火の記憶はリセットされる。ないかな、ないよなというのは、その「次」がきっとあることへの願望なのではなかろうか。しかし、時として次があることを期待する今が、最後になってしまうことはあるわけで。そうなってからこの曲を聴くと、また違った見え方がしてくる。
フジファブリックの歌の中でこの曲を超えるものはあるのだろうか。2004年のデビューから3年目でこの曲をリリースし、そのリリースから2年ちょっとで中心メンバーだったボーカルの志村正彦が死去。普通ならそこで終了かと思われたフジファブリックは続行を表明。それからもうすぐ約10年。志村がいた期間よりももういない期間の方が倍以上になった。その10年のことを無視して最初の5年のことにこだわることにどんな意味があるのかわからないのだけれど、志村こそフジファブリックだと思って、そこで止まっている人は少なくない。
けれどもいつだって人は亡くなり、亡くなったからといって故人以外の生活は終わることはなく続くのであり、いなくなった世界を受け入れ、進んでいくしかない。そういう意味でも、ファンこそ、志村のいないフジファブリックを聴き、さらに続くバンドの未来に、過去の名作を遥かに超える曲が出てくることを願うべきだろう。この夏、志村没後10周年ということで2009年のライブツアードキュメントのDVD BOXがリリースされた。おそらく、それは志村抜きの10年を走り続けてきた現メンバーにとっても、ひとつの区切りのようなものだったはず。そして一昨日大阪で行なわれた15周年記念ライブが、死後10年を経てようやく到達した「次」の世界への入口になったのかもしれない。
(2019.10.22) (レビュアー:大島栄二)