snooty『友達になろう』【友達というのは、そいつのことをもっと知りたいと思える相手のことなのだ】
淡々と歌われる歌だけど、描写ひとつひとつが友達というものを言い当てているようで興味深い。友達ってなんだろうね。学校で偶然一緒になって1年やそこら同じ空間にいれば友達なのかね。「友達100人できるかな」なんて歌があるけれど、あの歌で言われてる友達って、きっとSNSで相互フォローしてるよとか、その程度のものなんじゃないだろうか。まだ年端も行かない小さい子供が、100人の友達ができたとして、その100人の個性をちゃんと把握していくことなんてできないと思う。その程度の相手を、友達といってはいけないと思う。
「久しぶりに再会したけど/君ははじめましてだったね」。この歌詞に、友達と知り合いの違いが端的に表されている。知り合いなんてその程度なんだ。たとえ相手が久しぶりの再会に「はじめまして」じゃなくて「よっ、久しぶり」だったとしても、顔と名前だけ覚えているというのでは、やはりそれは友達とはいえないよ。じゃあどのくらい知っていれば友達と言えるのかというと、その答えは難しい。難しいというよりも、知識の量で友達かどうかは決まらない。だってそうだろう、ものすごく相手のことを知って、知ることである日突然幻滅することがある。幻滅したら、もう友達ではいられない。だからといって相手についての知識を消去できるかというとそれも難しく、だから幻滅した相手というのはとてもよく知っている他人でしかない。
そう考えると、また友達って何だろうという疑問に戻ってしまう。だがこの曲はそういう疑問にも軽やかに答えてくれる。「友達になろう 友達になろう/だから君のことを教えてくれよ」。まさにそうだ。友達というのは、そいつのことをもっと知りたいと思える相手のことなのだ。もちろん自分だけが相手のことを知りたいと思ってて、相手はそれをウザいと感じていれば、友達じゃなくて片想いだ。場合によってはストーカーにもなる。だから、「教えてくれよ」と直接問いかける。「教えてくれよ」と言って、「いいよ、何から話そうか」となれば、それはもう友達の始まりだ。具体的に何を知りたいってことじゃなくても、無駄に会って話をすることで、そいつのいろいろなことがわかってくる。こういう音楽が好きなんだ、こういう映画が好きなんだ。こういう場面に涙するんだ。米よりもパンを食べたがるんだ、早起きは苦手らしい、約束の時間は守らないんだ、いつもは難しい顔をしててもたまに見せる笑顔はめっちゃさわやかなんだ。そんなことひとつひとつの情報を、知ることが楽しい。その他大勢の他人と違って、良いところも悪いところも、知ることが楽しい。友達っていいよね。知り合うすべての人とそこまでの情報交換をすることはできないから、やっぱり友達100人なんてとてもできやしないと思う。だからこそ、友達はとても貴重で、かけがえの無いものなんだ。
YouTubeの説明欄に「上京した友達に出演してもらいました」と書いてあった。だから旧い友人が東京に遊びにきたのでMVに出てもらったのだと思ってた。でも、映像の中に見知った光景が見える。大濠公園だ。そう思ってよくよく見ると西鉄バスも映ってる。Twitterのアカウントで告知されているライブはすべて福岡のライブハウスだ。田舎の友達が上京してきたのではなく、既に仕事や進学で上京してしまった友達が福岡に一時帰省して、MVに出演してくれたということなのか。新しい暮らしを始めた友達が、出てよという呼びかけに気軽に応じてくれて、撮影のために1日を過ごす。今日はどうもありがとう、お礼にごちそうするよ。だから東京での新しい暮らしのことを教えてくれよ。こっちも福岡でのバンド活動の話をするからさ。そうして友達はさらに相手のことを知り、もっともっと友達になっていくんだろう。福岡の無名のバンドの、とても軽やかでステキな曲だ。経済がどうだとか世相がどうだとかには全く関係なく、いつの世にも友達は作れるし、関係を深めることはできる。そういう友達を欲するすべての人を元気づけてくれそうな、軽やかで意味深な名曲だ。
(2019.9.10) (レビュアー:大島栄二)