RADWIMPS『あいたい』
【込められた想いのリアルさにハッとさせられる】
RADWIMPSの、10年続けている東日本大震災に向けて作り続けている、これが10年目の曲。無名の僕だってあの震災には世界観も、人生そのものも影響を受けた。それは著名であれ無名であれ、関係なく多くの人に影響を与えたはずで。震災から毎月11日にはTwitterで黙祷を投稿。誰もがそうやってて、でもいつのまにか毎月黙祷を投稿するのは止めて。SNS投で稿するのって手軽だし、その手軽さがなんか嫌だった。手軽であろうがなかろうが続けたって良かったんだけど、いつの間にか理由をつけて止めてしまった。RADWIMPSが毎年曲を作っていることを知り、すごいなと思った。もちろんそれは彼らの本業だし、311とは関係なく曲は日常的に作るわけで、その環境も整っていて、だから普通の人が曲を毎年作るというのとは較べられないけれど、追悼モードもやがて多くの人から薄れていって、その日になって、ああ、またこの日がきたなと思い返すだけというのと較べ、毎年ちゃんと曲を作り続けることのなんとすごいことか。いや、それだけ心を揺さぶられたんだよ、だから忘れることなんて出来ないんだよ。そういわれたとすれば、そうかもしれないと思う。実際に大切な人を亡くした人にとって、そりゃあ1日たりとも忘れることは出来ないだろう。僕だって、震災とは関係ないけど友人を失って、そのことは1日たりとも忘れられない。だからといって、曲を毎年作り続けることが当たり前だとは思わない。すごいことだ。この動画のページには10年目に際しての野田洋次郎の言葉が記されている。この10年どんな想いで曲を発表し続けて来たのかの問いに対し、なぜだろうと自問するけれど一向にわからないと答えている。わからないのか。それも本音なのだろう。具体的な誰かを亡くしても、そうじゃなく多くの人の死に接しても、その時の心の在り様はきっと様々で、正解など無い。友人の死について、それを知った瞬間の気持ちと、4年半ほど過ぎた今の気持ちは、同じなようで、違っているようで。どう思えば正しいのかなんて無い。ただ、会いたいという気持ちはやはりどこかにある。無理だとわかっているから言葉にしたりしないけど、どこかにはやはりあるから、こんなにもストレートに歌われると、グッとくる。この動画にはさまざまな、誰かを亡くした人たちの声が寄せられている。そこに込められた想いのリアルさにハッとさせられる。
(2021.4.4) (レビュアー:大島栄二)
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