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宇多田ヒカル『One Last Kiss』
【ティーンの人たちがこのMVを、曲を、どんな風に感じるのだろうか】

知らない間に宇多田ヒカルもデビュー20年をとっくに過ぎていた。オッサンだからデビュー当時の鮮烈な印象は今もってまったく褪せていないのだけれど、それはデビュー作がバカ売れして、ミリオンが当たり前だった当時であってもその売れ方がちょっと尋常ではないという、主にセールス面の話題での鮮烈さが大きな割合を占めていて、本人自身のイメージはメディアからも距離を置いた、わりと地味なものだったということによるのかもしれない。売れるということに対しても我関せず的なスタンスだったように思われるし、だから、セールスが多少落ちたとしても「あのアーチストはもう落ち目だね」なんていう揶揄がほとんど通用しない立ち位置を確保できていたのではないだろうか。

しかしそうして20年以上が過ぎたわけで、そうなるとティーンたちの誰ひとりとして宇多田のデビュー時を知らないのであって、そういうティーンたちに宇多田ヒカルというアーチストはどんな風にみえているのだろうか。このMVは公開から1日以内で300万回以上再生されているようで、相変わらずの注目度であることは間違いないけれど、じゃあ10代のリスナーがどのくらい注目しているのだろうか。MVの解説に目を通すと、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のために書き下ろした新曲らしく、現時点でエヴァというのも少々クラシカルな印象はあるが、その総監督の庵野秀明がMV監督を務めたという。庵野秀明かすげえなと思うけど、このコロナ禍で実際に撮影も担当するわけにはいかず、本人(宇多田)の自撮り等による撮影素材を送って、それを切り取り繋げて作品に仕上げたらしい。自撮り映像だぞ。そんなん普通のアマチュアバンドだって撮影できる。いくら庵野秀明が編集するといっても素材の映像がダメダメだったら良いMVにはならんだろう。しかしまあ、イイよなこのMV。宇多田の曲が良いから映像までよく見えるのか、被写体が宇多田だからよく見えるのか、それとも庵野秀明が編集すると何らかのマジックが起こるのか。最後の庵野秀明のことは置いておいても、宇多田のデビュー時の鮮烈さが意識のどこかにあるから彼女のMVや曲をある程度無条件に評価してしまうという点は否めないと思ってる。だから、彼女のデビュー時を知らないティーンの人たちがこのMVを、曲を、どんな風に感じるのかはちょっと知りたい。

それにしても、このMVの中で宇多田ヒカルは曲が持っているムードに合わせた表情を見せることも、そのムードなどまったく知らんというような笑顔を見せることもある。それは作品がこうだからということになど縛られず、その瞬間瞬間の自分の表情を嘘の無いようにしているかのようだ。空気を読んだりしないのだろうきっと。そのことで損をしてることだってきっとあるだろうけど、空気を読まないからこそ自分の本当の感情や、自分を取り巻く現実に対して正直であり続けられるはず。それが作品にも現れるし、結果として良い作品を生み出し続けられるのだと思う。オッサンの僕はそう思う。

(2021.3.27) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二, 宇多田ヒカル

Posted by musipl