Masayoshi Fujita『Tears of Unicorn』
Neon Indian『Slumlord Rising』
ヒグチアイ
『ココロジェリーフィッシュ』
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低音からグイグイと迫ってくるパワフルボーカル。こういう、なんという特徴があるわけでもない正統派ボーカルだけれども低音にドスのある女性シンガーというのは意外に少なく、普通ならその好き嫌いで聴くかどうかをまず判断するのだが、僕はこの人の歌を聴いていて、息継ぎのユニークさに耳が止まった。息継ぎは人間が歌う時に当たり前のように起こる現象で、だからそれを否定するつもりは無いのだけれども、歌にとってのノイズとして感じられて耳を突くことがよくある。だから音楽制作の現場では息継ぎをどう処理するのか、どう少なくするのかということに気を遣うことが少なくない。対処方法としては息継ぎをする余裕のある音符構成で作曲をするというのがあるし、腹式呼吸で鍛錬するというのもある。だがボイトレをやることで歌い方が変化し、その結果シンガーが本来持っていた味のようなものまで消えてしまうこともあって、ボイトレへの過大な期待は諸刃の剣となることもある。レコーディングの際にはボーカルトラックから息継ぎ音をひとつひとつ消し去るという作業をすることもある。画像でいえばPhotoshopでシワを消すみたいなことで、これもやり過ぎると不自然になるし、後処理で変わることに慣れてしまうとシンガーが成長しようという気持ちを失ってしまってこれも問題だ。で、このヒグチアイさんの歌だ。息継ぎがこれでもかというくらいに入ってくる。普通ならノイズとして感じる息継ぎが、なぜか心地良い。速いテンポのこの曲を彼女が歌って、しかもかなりの声量で歌って、だからパワフルになるのだが、その分、やはり酸素が必要になってきて、息を吸う。だがたたみかけるように音符が並ぶこの歌では十分な酸素を吸う時間的余裕を与えてもらえず、だから一気に吸い込もうとして、息継ぎ音が必然的に大きくなっていく。取り込んだ酸素を全部歌のパワーのために消費して、また足りずに息を吸う。この繰り返し。その様は聴く者を、溺れる子犬に手を差し伸べることも出来ずにただ「頑張れ」と心で願うような心持ちにさせていく。不思議な心地よさだ。このビデオではなかなかわからないが、
ライブ映像を見ると息継ぎをする際にまるで痙攣するように首が揺れる
。もうやめろよ、やめてゆっくりと深呼吸しろよとついつい思う。だけど止めず、極限の酸欠状態に自ら突入するかのようなヒグチアイの姿が、不意に菩薩に見えてくる。息継ぎはそのために不可欠な舞台装置のような役割を果たしている。ハイトーンボイスを売りにする多くのシンガーは首筋に血管を浮立たせることで限界にチャレンジしていることを強調するが、それは、キーを下げれば済むだけなのに、血管を強調することで「すげえな」という感動を生もうとしているに過ぎない。だが、ヒグチアイの歌は、極限の酸欠状態に挑むことでその感動を生むし、この曲をこのテンポで歌う以上、キーがどうであれ挑まなければならない。それを敢えて歌っていることに、僕はただただ感動するし、シンガーもアスリートであると確信するのだ。
(2015.12.15)
(レビュアー:大島栄二)
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