Gus Dapperton『Fill Me Up Anthem』
Crispy Camera Club『ネイビー・ショア』
Mega Shinnosuke
『本音』
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誰もが公明正大だけで生きているわけもなくて、隠しごとや後ろ暗いことがあることを秘めつつ生きているわけで、だから本当は他人の痛みも弱みも理解できるはずなのに、他人の暗さには攻撃的に罵倒することはよくある。ターゲットが有名人の不祥事ならばなおさらだ。責めたって、責め返されることはない。だって直接関係のない遠い人だから。そういうのを、責めることで自分は正しい側にあるという表明をしようとしているのだと思うことがある。
遠い人だから、自分に直接逆襲は来ない。かといってあまりに遠い人を責めてみたって何のことだかわからない。だから、適度に遠く、適度に近い相手のことを責めてみる。それは、自分の正しさを表明するためだけの行為であるから、本当に相手に責められるべき不正があるかどうかなど関係なかったりする。
そういう責めに走ってしまうのは、正しく在らねばならぬという呪縛のせいだろう。
世の中に、普遍的な正義なんてあるのだろうか。誰かの正義は、敵対する誰かの不正義であることは多い。価値観なんて人の数だけ存在してて、価値観が百花繚乱する以上、それだけの数、正義はあるし、同じだけの不正義もある。その事実さえ理解していれば、自らの正義を表明するために誰かを責めたりする必要はなくなるんじゃないかと思うけれども、誰かを声高に責め続ける人は一向に減る気配さえない。
「表面の明るい世界だけじゃ切ないね。」本当にその通りだ。誰もが不都合や思い通りにならない苦悩を抱えて生きていて、社会が正しさを声高に強調するようになっていけばいくほど、ほとんどの人は生きていける場を失ってしまう。生きていける場を失うわけにはいかないから、どうにかやって存在できる場所を探そうともがく。それが人生というものじゃないだろうか。その場が、自分だけで殻の中で生きるということであってもいいし、友人や家族や、理解できる誰かを求めるのでもいい。恋愛をしたいと願うのは、友人を作りたいと願うのは、明るく楽しい日々を送りたいからなのではなく、抱えている矛盾を共有できる居場所を求めるからなのではないだろうか。「くさいセリフさえ恥ずかしげのない2人」という歌詞が歌われていて、そんな相手がいたら、きっと居場所になるだろう。そういう居場所を、誰もが求めては、失敗を繰り返す。それでも、人が人である以上、そういう相手を、場所を、求めるのだ。
まだ18歳のMega Shinnosukeは、そんな歌をさらりと歌ってみせている。それでいいんだよと言わんばかりに、さらりと、しかし確実に。どこがサビだとかが明確ではない、流れるような淡々とした曲で、90年代によく流行った力強いメッセージソングとはまるで違った、流して聴けば気付きもしないような、地味に響くメッセージソング。こういう歌を作れる10代がいるというだけで、まだまだ未来は明るいんじゃないかなと思わせてくれる。
(2019.8.22)
(レビュアー:大島栄二)
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