イロムク『他人』
Iggy Pop『Run Like A Villain』
AOI MOMENT
『take loop』
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淡々と歌い上げる情熱的な曲。繰り返し投げかけられる問いかけは、何を救えるだろうというもの。すべてを救えないという嘆きは、万能でありたいという想いの裏返しなのだろうか。若い頃は希望に溢れて、トライすれば何でもできるんじゃないかと思っていても、徐々に現実の厳しさに直面し、心がひとつまたひとつと折れていく。できないことがたくさんある。ちっぽけな自分を知るようになる。無力な自分。他人の「できる」ところばかりが見えるようになる。SNSをみればキラキラと輝いている知人の姿。それに較べて自分のなんとちっぽけで薄暗いことか。イヤになる。あれもこれもやりたい。でもできない。やっている人は世界に満ちあふれている。でも自分にはできない。ネット上で目にするだけならまだマシだ。電源を切ればいいだけだし、アカウントを消去してしまえばもうこっちのものだ。しかし外に出てリアルな世界で人と接すれば、アカウントを消去するようなわけにはいかない。学校では点数で切り分けられる。就職しようとすれば不採用の連続に凹む。運良く仕事を見つけても成果と上司の追求に追われるばかり。そんなに器用に効率よくなんてできやしない。人が要求するような完璧な自分になどなれやしない。それでも日々世界は回るし、毎日毎日求められる理想の自分とはかけ離れていくばかり。
すべてを救えないという言葉の裏側で、本当に救いたいのは自分自身なのではないだろうかと思う。ちっぽけな自分さえ、救えないのだ。森羅万象すべてのものを救いたい全能の神の挫折ではなく、ちっぽけな自分さえ救えない、無力な自分の挫折。せめて、全能の神でさえ全てを救えないのだからと言うことで、自分の無力さを受け入れようとする比喩。何も信じられず、何も救うことができず。それでも「僕」はここにいるのだよと。それは譲れないのだよと。現実の生身の自分が、アカウントを消去するような訳にはいかないのだと。もちろんそうだ。過剰な期待や目標設定に押しつぶされる必要はなくて、人はただそこにいるだけで価値があるのだ。この世知辛い社会の中で、土俵際で懸命に踏みとどまろうとする者のささやかな主張のような意味を感じて、力強さを感じながらも、少しだけ切なくなる。
(2019.8.6)
(レビュアー:大島栄二)
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