ねごと『sharp ♯』
平田クミ『あたりまえ』
阿部真央
『答』
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阿部真央のデビューアルバム『ふりぃ』を聴いて以来ファン。インパクトがあったし、強い心を感じた。10曲中もちろんほとんどはバンドアレンジの曲だが、「デッドライン」「情けない男の唄」の2曲がメジャーアーチストのデビューアルバムとしては異質な感じがする弾き語りの曲で、しかしその2曲の印象が強くて、僕の中ではアルバム『ふりぃ』は弾き語りのアルバムだし、阿部真央は弾き語りシンガーになった。しかしその後出すアルバム出す曲が様々な様相を呈して、いったい阿部真央は何をしたいんだろうとか、結局大きなプロジェクトの中で本人の独自性なんて出せる隙間はほとんど無くなっているんじゃないかとか感じるようになり、しばらく聴くことをやめていた。それでもYouTubeでMVくらいはチェックしてて、それで、これだ。バンドアレンジの曲なのに、弾き語りの持つ迫力が、それは結局阿部真央自身の等身大かつ比類なきパワーのすべてが前面に出ていた。批判を怖れずに言おう、これは弾き語りの歌だ。そして阿部真央の歌だ。
世の中には弾き語りシンガーは多くて、ストリートで歌ったり、最近多いアコースティック専門のライブハウスなどでは弾き語りでパフォーマンスするSSWは掃いて捨てるほどいる。だがそういう人たちでアルバム制作をする際に弾き語りオンリーで通す人は少なくて、日頃はやっていないバンドアレンジを、友人に助けてもらったり、打ち込みを頑張ったりして、アルバムのためにレコーディングする。そうすることでギター1本では出し得ない音の厚みをプラスするのだ。その時に、自分のパフォーマンスにはバンドの音が足りないのだと考えていたとしたら、端的に言えば自分のパフォーマンスは足りていないと感じているのだとしたら、その人の普段の弾き語りでのライブはいったい何なんだろうか。足りていないと心の奥で思っているパフォーマンスを人前で見せているというのはどういうことなんだろうか。その不足パフォーマンスにチケット代を出させているって、一体どういうことなんだろうか。
もちろん、アーチストは日々前進、進化するものだし、今の状態のままで1年後を迎えて良い訳もなく、未来の自分に較べたら今は何かが不足していたとしてもあたりまえなのだ。しかし、弾き語りの人がそこにバンドサウンドを足すことで、不足している何かが完全に補えると思っていたら大間違いだし、そんな人が1年後に多少成長したとしても、バンドサウンドを引きはがされたら相変わらずの不足パフォーマンスから脱していることはないだろう。
阿部真央のこの曲を聴いて、これまでの彼女の活動の日々と努力が感じられる。めっちゃ感じられる。バンドサウンドが付随していながらも、それはただの調味料みたいなものでしかなく、デビューアルバムの弾き語り曲で見せていた、彼女の歌への自信のようなものが前面に出てきている。これまでにおそらく多くのミュージシャンやプロデューサーたちと一緒に仕事をしてきただろう。その中で揉まれながらも自分の立ち位置を完全に失うこと無く、むしろいい部分を最大限に吸収してきて、バンドサウンドが付いてこようがどうしようが、そんなことに関係なく自分の表現を磨きあげてきた、彼女の軌跡が感じられる。この曲からバンドサウンドが引きはがされたとしても、価値が落ちることなどまったくなく、そこにはただの阿部真央の歌があるはずだ。すべてのバンドマンの、すべてのボーカリストが目指すべき、自分そのものの価値への格闘の見本のようなものが、この曲に凝縮しているし、デビューアルバム以降の曲に対して「いったい何がしたいんだろう」などと疑問を感じた僕のようなリスナーに対する、まさに「答」のような曲だといえる。
(2019.6.8)
(レビュアー:大島栄二)
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