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踊ってばかりの国
『weekender』

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 久しぶりに見た踊ってばかりの国。過去に2度レビューしたもののそこから約4年半。その時取り上げた曲も動画公開は5年半前で、ちょうど活動が滞っていた頃。それで他の曲とかバンドとかを追っていたうちにすっかり忘れてて。気がついたら下津光史の髪の毛がバッサリと切られてて。音楽は髪型で創るものでも表現するものでもなくて、そんなことはわかっちゃいるものの、超をつけてもいいくらいの超ロン毛の下津が髪をバッサリ切って、あれっ、ノーナリーヴスのメンバーにこんな人いましたよねって感じのルックスになっちゃってて。いや、ノーナリーヴスはノーナリーヴスでカッコいいし、最近また大人気になってるらしいけど、やっぱり踊ってばかりの国とはまったくの別モノだし。
 別モノといえば踊ってばかりの国もかつてのメンバーと比較するとボーカルの下津以外はみんなメンバーチェンジしてしまっていて、それを同じバンドというべきか別モノというべきなのか。そもそもバンドも人も年月を重ねる中でずっと同じではいられないはずで、だったらたとえメンバーが同じだったとしても年月が経過すれば必然的に別モノになってしまうのではないか。まあその辺のことを言い出すと混乱するだけなので置いておくとして。1年ほど前のアルバムリリース時のインタビュー記事を読んでみると、下津自身が度重なるメンバーチェンジの末に別モノともいえるバンドとなったと語っていた。バンド名を変えた方が良いんじゃないかとさえ思ったらしい。
 だが、バンドが別モノなのか同じままなのかは、メンバーがチェンジしたこととかボーカルの髪型が変わったことなんかとはまったく関係のない話で。詰まる所は音楽が別モノになったのかどうかということでしかない。そういう観点で昨年リリースのアルバムを聴いてみる。漠とした印象に過ぎないが、マイルドになった感じがする。以前はもっと表現が直接的だった。直接的といっても具体的な何かを歌うというより、選ばれている言葉に棘というか、インパクトある単語が選ばれていて、その積み重ねで攻撃的なイメージを形作っていくような感じで。それに較べて昨年のアルバムはもっとマイルドな言葉が並んでて。当然作り上げられるイメージも変化してはいるものの、そこにある魂の在り様は変わっていないような。この動画が3月31日に公開されていて、そのことを「すごい」と評しているコメントがチラホラ。翌4月1日から社会人になったという人が、この曲に救われるだろうと書いていた。そう、何かを攻撃することで世界との接点を持っていた表現者が、攻撃することをやめ、ただあるがままを表現することで世界を支えるような、そんな変化。その変化の後先を別モノと呼ぶかどうかはリスナーひとりひとりに委ねるとして、僕は、またこのバンドを聴き続けたいと思った。
(2019.5.3) (レビュアー:大島栄二)
 


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