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LÄ-PPISCH
『パヤパヤ』

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 LÄ-PPISCH、初期のヒット作『パヤパヤ』をいま見ると少しばかり色モノ的なバンドにも見えるかもしれないが、当時は日本のロックミュージックにスカを取り入れた草分け的存在で、最先端で尖った音楽スタイルだった。そもそもLÄ-PPISCHはテクノバンドとパンクバンドが合体してできたバンドで、いろいろな音楽ジャンルを試行錯誤した結果そこに行き着いたのだろうし、メジャーデビュー後もこのお祭り騒ぎ的なノリばかりを続けたわけじゃなく、もっとアートな雰囲気を醸し出す形での尖りかたを見せていた。今のように音楽ジャンルが細分化しつつも個々のリスナーの好きなジャンルがはっきりと固定化した状況ではなく、次々と新しいジャンルのバンドが登場し、それらがすべて「新しい」という価値で注目されては、また別の新しいジャンルの登場によって置き去りにされていくというのが1980年代末期の音楽シーンで、どのバンドも新しい次のスタイルを追い求めつつも、自分たちの軸になるスタイルを確立しようと懸命だった。それは、現在の音楽シーンでは一定数の熱心なファンをつかみさえすればビジネスとして成立するし、一般には無名であっても武道館クラスのライブを成功させることができるが、当時は不特定多数に評価されること=有名になること、がビジネスの大前提だったという状況の違いが大きな理由だったように思う。だから大手のレコードレーベルに所属して全国のレコードショップにCDが並ばなければ話にならなかったし、大手レコードショップでも一定数売れないバンドではビジネスにならないので初回での仕入れも控えめになる。現在であれば別にタワレコに並ばなくてもamazonに商品が載れば買ってもらえるし、なんなら自分のwebサイトで直接売ることも十分に可能。それに較べれば、当時のロックバンドは大変だったかもなあと思ったりする。もちろん、amazonと自分のサイトで売れるといってもそのやり方では限界あるし、ビジネス規模もそこそこになるので、多くのバンドは結局そんなに売れない中で細々とやり続けることになってしまう。どちらが良いのかはよく判らないし、LÄ-PPISCHが「売れる」というプレッシャー無しに活動し続けていたらどんな音楽を作ったんだろうと思ったりするけれど、どういう状況であっても結局はそんなに変わらなかったのかもなあとも思う。
(2019.4.27) (レビュアー:大島栄二)
 


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