明石百夏『トイレンナーレ体操』
星野源『POP VIRUS』
フィッシュライフ
『むしかご』
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もしも○○になったらどうしよう。人はそんなことばかりを考えて不安を抱えたりくよくよしたり。いやいやいつかどこかで何か予想外のことは起こるんだから、起こった時のためにいろいろと考えて備えていた方がいいよと用心深い人は言うが、予想外のことはやはり予想外のことで、だからいくら考えて備えておいたところで、予想外のことが起きた時には備えなど出来ていないのだから、結局はくよくよ不安を抱えていた分だけ損なのではないかという気もする。
先日より息子の関係でカブトムシの幼虫を飼うことになる。まだ幼虫なので土の中に暮らしている。姿もほとんど見えない彼らのために時々霧吹きで水を吹きかけて地面を乾燥させないようにしている。そんな時、冬を越せない生き物のカブトムシがケースの中にいるのを見ながら、人間もたいして違いはないよなと思ったりする。70年80年ほど生きる人間からすれば1年しか生きられないカブトムシのなんと短い人生よと思うが、じゃあ10年ちょっと生きる犬や猫がその分幸せなのか、それよりも何百年と生きる樹木の方が幸せなのか。それぞれの生き物が自分の肉体という殻に覆われて生物としての可能性と限界の中で生きている。人間は移動できるし、考えたりもできる。しかし生きている社会の仕組みや枠組みの中から突出して自由な生を100%享受できるのかというとそうでもなく。生まれた時代の豊かさを受け入れ、生まれた時代の貧しさを受け入れ。人はその能力でなんとかもがくものの、時代とそこに連なる経済からはそうそう逃れようもなく、もがく意味はいったい何なのか。その時代というのは、自分が暮らさせていただいているむしかごに過ぎず、どこかの誰かが時折水分を与えてくれていて、その誰かがうっかりそれを忘れてしまえば、僕らは時代というむしかごの中で一体どうなるのだろうか。
この曲で「君」と暮らしてて、嫌われたらどうしようと考える。そう思う途端に「君」との暮らしが自分を囲うむしかごになる。その関係性が永遠であれと思う気持ちが自分の足枷となり、その気持ちに幽閉される。自分を閉じ込めているのは世界の終わりみたいな部屋なのではなく、そんな部屋に存在する暮らしと、その暮らしに依拠しようという自分の心。
今年の始めにこのMVを公開したフィッシュライフは昨年の10月に解散をしている。バンドを始める時、解散を想定して始めるヤツなんていなくて。でもバンドはストーンズとかサザンとかのごく一部の例外をのぞけばほぼほぼ99.99%が解散をする。だからバンドにとって解散は予想外のことなんかではないけれど、それを予想しながら活動をするなんてことはできない。だが、それはある日突然やってきて、ファンを驚かせ、なによりメンバー自身を驚かせる。が、バンドを始める時に誰もが「このバンドで天下を取るんや〜!」みたいな妄想がやはり妄想でしかないと気付く日は来るもので、その気付きこそがもしかしたら成長かもしれないし、永遠と思いたかった夢が覚め、そこで一旦リスタートできることは、もしかしたら囚われのむしかごから飛び出して自由をつかむわずかなチャンスなのかもしれない。それは、バンドに限ったことではなく、多くの普通の人にとってのバンド的な夢のようなものからの、自由へのチャンスのように。
(2019.2.22)
(レビュアー:大島栄二)
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