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The Echo Dek
『City Light』

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 シティライトというと勝手にシティポップかと思い込んでしまう。いやこの曲がシティポップなんだといわれればそれを否定するつもりはないけれど、僕の中ではポップじゃないと思うし、じゃあロックなのかというとそうとも言い切れず。よく判らないなりに、この曲を聴いていて妙に惹かれていくことだけがはっきりと判る。なぜなんだろうと考えてみると、どうやらこの曲はシティのライト側じゃなくてむしろその裏側を描いているようでリアルだからだ。田舎から都会に出ていこうとするとき、憧れて吸い寄せられるのはシティの光の部分。都会の華やぐ姿に魅入られ、自分もその一部になろうと上京する。だが結局は本当の光になれるのなどごく一部で、ほとんどの人は都会の輝きを支える暗い世界で生きることになる。もう何十年も前にNYを訪れたことがあり、ふと入ったレストランで、トイレはどこかと尋ね、その階段を降りたところだと言われて降りて行くと、その階段の下で冷凍エビの皮をひたすら剥いているプエルトリカンを目撃した。上の華やかなレストランは、その冷凍エビをひたすら剥く作業によって成り立っている。誰かがそれをやらねば、人々がエビ料理を食べて幸せになることなどできないのだ。
 昼間の活気が都会の明るい部分だとして、夜の都会は暗部なのかもしれない。だが田舎と都会の決定的な違いはむしろその夜にこそある。いつまでも消えない灯りが街の至る所にある。真の暗がりなどは存在しない。歌は「君は昼も夜も街を行く(そんなの結局ろくなもんじゃないよ)」と言う。昼も夜も行けるのが街だ。真実が歌われている。昼も夜も行けるのが街だ。だから人は昼も夜も行く。しかし、夜は眠りなさいよ、眠った方が良いですよなどとおせっかいなことを言いたがるのだけれど、そんなことを言おうものなら「そんなのオレらの勝手だよ、オレが夜眠ってたりしたらこの街は回らねえんだよ」と反論が倍返しで飛んできそうだから言ったりはしないが、この曲が「君は昼も夜も街を行く(そんなの結局ろくなもんじゃないよ)」というのに強く共感するし、誰のために何のために夜も街を行くのだと小さな声でつぶやいてみたくなる。そんな風に思わせてくれるこの曲は、本当の意味でのシティライトをよく表現した、名曲だと思うのだ。
(2019.2.11) (レビュアー:大島栄二)
 


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