シロとクロ『night walking』
松本佳奈『あの陽だまりは瞼の裏』
朔良
『Inging』
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卒業をする時に、もうみんなに会えなくて哀しいみたいなことを言ってる同級生がいて、そういうの不思議で仕方なかった。別に学校がイヤだったとかではない。クラスメイトと言っても全員が友だちなのではなくて、そんなに好きじゃない人とはもう金輪際会わなくなっても構わないし、好きな友だちとは連絡先を教えあってまた会えば良い。たったそれだけのことだろうと思ってた。本気で思ってた。で、そういうと「お前は何にも判っていない」と呆れられた。でも今でもその考えは変わっていない。ましてや今はSNS時代だ。僕が学生の頃とは全然違う。SNSのアカウントさえ知っていれば容易につながれる。簡単にコミュニケーションが取れるし、距離的に離れて暮らすようになったって大丈夫。知り合いがひとりもいない場所に移住したって孤独に苛まれることは無いよ。そんなことを公言していた僕に、友人は説得を試みることもなく、放置していたに違いない、とこの曲を聴いてからちょっと思うようになった。教室で、卒業式のタイミングでの気持ちを歌った歌。長い校長の話も聞けなくなると歌う。それ、寂しいのか。寂しいのならまた明日から学校に来て長い校長の話を聞いてもいいぞと言われても受け入れて聞きにくる生徒はいないだろう。だが、その話を明日からも聞きたいのかということと、その話を明日からは聞けなくなるということは、まったく別の次元の価値なのだろう。いってみれば、押し出されることの喜びと切なさ。どうなんだろうか、その解釈で合っているのだろうか。繰り返すが、まだそこの共感は持ち得ない。これまでの生活の場から離れることにはプラスの面もマイナスの面もあって、どちらを大きく感じるのかによって受け取り方は変わってくるのであって、僕は離れることによって生まれるプラスをより大きく感じる派。感じたい派。だから今の場所から離れることについての感傷のようなものは過小に感じるのだ。離れることによって本当に困るくらいの友人とはつながっていれば良いだけのことで。しかしその場所が持っているすべてのことがSNSで代用されるはずは無く、だからSNSで取りこぼされる何かを補うことができないよということから、感傷の気持ちは生まれるのだろう。いや、本当に共感はしていないけれども。でも少なくともそんなことを感じることは有り得るよなあとくらいは思う。そんなことを思わせてくれた、この曲はすごいなあと思う。35年くらい前に聴けていればよかったのになあ。
(2018.5.25)
(レビュアー:大島栄二)
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