いかがわしさと、背徳に纏わる諸々は健全たる機制が罷り通っているにこそ反動的に意味を強くする。病むのはいつもそこだ。だから、勝手に逃げればいいと思うのにそうはいかないような主題に並ぶのは都市生活、貧富、家族という制度、性などの普遍のテーゼで、それらを想い出せば、1979年に製作された『Sauve qui peut(La vie)』の断片に錯綜し迷い込む。ゴダールの、主題を分けたことによってスロウにもチョップされる背走。気楽にいこうぜ、とは現代社会の資本が何で形成されているかに盲信できているかに過ぎない。空飛ぶ車や便利な機器も、そしてそのあれもこれも辿れば軍事目的の賜物なんて陰謀説は抜きに文化はいつだって人を自由にさせてくれる。いいね、もクール、もどうでもよくなって、動物化したときに試されるのは知性や教養のようで、それ以前の佇まいだと思う。これまでもそうだが、今のヨギーが真っ当に格好良い。要所に、シティ・ポップのあんなフレーズを想起させたりしつつ、こんな格好良くなってしまってどうするのだろうとさえ。でも、ようやく春をこころよく迎えられる気がしたのはどんなニュースや朗報より何よりもこの曲と映像だった。大まかな世界への背走者や一生活者にも花束が届くように、勝手に逃げろ、人生。折り返すのは最果てでいい。