なんというスタイリッシュ。いや、これがスタイリッシュなのか。言葉の定義はともかくとして、本当に飄々とした音が、サウンドが、いややはり音が溢れるように流れていく。アーチストというのはかつてはテレビやラジオや雑誌の向こうにいた人たちのことで、それがネットの登場でファンとダイレクトに結びつくことができるようになり、それの良さももちろんあるのだが、その分アーチストがかつて身に纏っていた「壁の向こうのステキな人」という要素はどんどん薄れている。テレビに出ている有名タレントであってもあらゆる手段で心の内まで暴かれるようになり、そこに壁の向こうのという神秘性はもはや維持不可能になっている。でも、それは女性がメイクによって素顔を隠すように、些細なことで神秘性を保つことはもしかしたら可能なのではないだろうかと思うことがある。sui sui duckの音楽もその音楽のスタイリッシュさの故に彼らがどんな人なのか、人間なのかという部分が削ぎ落とされ、MVを観るだけではそのベールの向こうを伺うことができない。彼らの曲を聴くにつけ、30年くらい前のアーチストに見ていたアーチスト性を、今久しぶりに見ているような気持ちになる。アーチストが自身の人間性をアートで隠しスタイルを壁として堅固なものにする様をみて、一般人の僕らも自分の人間っぽさの醜さに化粧を施そうとしていたあの頃の音楽体験のエッセンスを蘇らせる。そのスタイルは流行のスタイルや髪型から魂の本音という鎧まで様々だが、すべてが情報社会で晒される現代に於いては、鎧となるのはやはり音楽そのものサウンドそのものしか無いのだろうと思うし、そういう意味で、sui sui duckはまさに現代のアーチストと言って間違いないのではないだろうか。まだめちゃ知られているわけではないけど。そして本当に知られてしまった時にその音楽の鎧が身体から剥がされるのか剥がされないのかは想像することも出来ないのだけれど。