Jane Bordeaux『Ma'agalim』
前野健太
KAN
『50年後も』
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愛は勝つの人と思われがちなKAN。思われがちというか、あの大ヒットなのだからそう思われて当然、というかそうなのだ。愛は勝つの人なのだKANは。ヒットが大きければそのイメージが焼き付くし、その後普通程度それ以上程度に活躍したところで大ヒットのピークには遥か及ばず、いつまでも愛は勝つの人という認識を払拭することは難しい。だが、KANは淡々と活動し、並程度以上の規模の活動を続け、生み出す曲は大ヒット曲に勝るとも劣らないクオリティを維持し続けている。
「プロポーズ」という彼の曲
があって、これがまた素晴らしい。普通の、とても普通の男性が女性に語りかけるという構成で、KANのスターっぽくない存在感が、普通の人のストーリー感をリアルにしている。「君の好きな歌をうたおう 平気さだれもいない/ぼくのほうがうまいけど 君のほうが声がいい/本当にそう思ってるよ」という歌詞が、KANの少しばかりハスキーのようなクセのある声で歌われていて、とてもリアル。普通の人が、普通の人と、それぞれ対等な関係になろうと想っている、その思いがよく伝わってくる。沁みてくる。こういうのが良い歌なんだ。その曲を
ミスチルの桜井がカバーしてイベントで歌っている動画
があって、それを聴くとすべてがイヤミに感じられる。絶対に自分の方が歌が上手いと思ってるだろう、それに声だって自分の方がいいと思っているだろう。万が一桜井氏が思っていなくたって、そんな風に言われて桜井氏の前で堂々と歌える普通の女性がいるか? あたしの方が声が良いと思えるか? 同じ歌なのに、ミスチル桜井が歌うとイヤミに感じられて、KANだと対等な想いに感じられて。この違いはいったい何なんだろうか。別に桜井がスターでKANがスターではないということではない。存在感が、歌い手が持っている個性が、その違いを生むのだろう。僕は、KANの普通の人然とした存在感が好きだし、その存在感だからこそ表現できる境地というのはあるのだ。これが本当に普通の人で、無名な素人シンガーがライブハウスで歌っていたら同じように感じられるのか。いや、違う。誰しも自分という存在は自分の中で特別な存在で、でも客観的には只の人だということは自覚していて、その自分の中からの評価と外からの評価とのギャップを認識していて。そのギャップの感じは完全に無名のシンガーの歌では表現しきれない。有名なのに普通。それがKANの特徴でもあり強みなのではないだろうか。
そんなKANが「明日の朝もしも僕が死んでいたら君はどうする?」と問いかける歌。そうかと思うと50年後のことに想いを馳せる。明日のありそうもない可能性と、50年後のあるかどうかわからない可能性を想ってみる男と、それを「変なことを言ってないで明日に備えて寝れば」とバッサリ斬る女。この対比がとても面白くて素敵で。両方が夢見てばっかりでも両方が現実ばっかりでもきっとダメなんだろうなあと思った。バッサリと斬られながらも、きっとこの男は夢みたいなことばかり考え続けるのだろうし、その夢の行く先に、はぐれないように手をつないでてという光景が見えていて。そういうのがとてもいい、個人的なKANのベストソング。
(2018.2.17)
(レビュアー:大島栄二)
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